現地の案内板に掲げられていた
当時の代官所の様子です。
幕末の1866年(慶応2年)、長州藩の
奇兵隊を脱退した100名の浪士集団が
倉敷代官所を襲い、焼失してしまったそうです。
明治になり、倉敷代官所跡に倉敷県庁が
置かれたそうですが、その後は放置され、
その土地に倉敷紡績所の工場が置かれました。
その地は、いまアイビースクエアとなり
倉敷の観光名所の一つになっています。
その倉敷川沿いから狭い路地を抜け
東に向かうとアイビースクエアがあります。
アイビースクエア西門の様子です。
今では蔦の生える赤レンガの建物が有名で
倉敷の観光スポットの一つになっています。
ここが倉敷代官所の跡地です。
アイビースクエアに入ると、狭い用水路があります。
その手前に代官所跡の碑がありました。
アイビースクエアの地は阿智神社のある
鶴形山の南麓にあります。
倉敷代官所の前身・倉敷陣屋も
この地に置かれていたのでしょうか。
碑の先にある狭い用水路は、
当時の代官所の堀だったと思います。
現地の案内図で見ると、代官所の敷地の
周囲に堀が巡らされていたようです。
用水路を渡った所に井戸がありました。
先ほどの用水路とこの井戸だけが、
倉敷代官所の跡を偲ぶ跡の様です。
代官所の跡には、その後、倉敷紡績の工場が建ち
蔦に覆われた煉瓦の建物はアイビースクエアになっています。
当時、代官所の建物があった辺りと思いますが
すっかり西洋風の景色となり、当時の面影はありません。
立派なアイビースクエアの正門です。
現在の正門は東に向いていますが
当時の代官所の正門は南側にあったようです。