【菰野陣屋概要】
菰野陣屋は、1600年(慶長5年)に家康から
1万2千石を拝領した土方雄氏が築いた陣屋です。
陣屋跡は現在は菰野小学校になっています。
土方雄氏が興した菰野藩は、雄氏の子孫が
12代に亘り、明治まで藩主を務めました。
菰野陣屋跡は、近鉄湯の山線の中菰野駅から
東に歩いて徒歩約5分の位置にあります。
菰野陣屋跡は現在の菰野小学校になっています。
近鉄湯の山線の中菰野駅から東に歩いて
ほど近い所に菰野小学校があります。
学校の敷地の東側にある門から
校庭越しに校舎を眺めた様子です。
この菰野小学校の北西に、当時の陣屋の名残がありました。
このこんもりとした森が土塁の跡で、
その下に堀の名残と思われる石組の
窪地がありました。
菰野小学校の西側には国道306号線が走り、
高架橋となっていますが、この窪地は
その下を通り、国道の西側へ続いています。
菰野小学校の敷地は国道の東側にあり、
高架の国道の下に細い道が南に続いています。
この道の左手が菰野小学校の南西の隅に
あたりますが、江戸時代にはここに
隅櫓が建っていました。
現地にあった案内板の写真です。
この隅櫓は意外な事に江戸幕府が倒れた後の
1868年(明治元年)に、菰野藩最後の藩主となった
第12代の土方雄永の婚礼に際して建てられたそうです。
菰野小学校の校舎の南側にあった城址碑です。
菰野藩の石高は1万2千石、しかも書院などは
あったものの、江戸時代には櫓も築かれておらず、
城ではなく陣屋だったとみなすべきでしょう。
城址碑のある辺りの様子です。
通りを隔てた南側は、近鉄湯の山線の
線路があり、電車が行き交っていました。
菰野小学校周辺は家も建ち、視界も開けていませんが、
集落を離れると、御在所岳が良く見えていました。