この碑が見つかってホッとしました。
ここに当時は門が建っていたそうです。
陣屋跡はここから130m北側にあると
案内板に書かれていたので、
そちらまで行ってみました。
一ブロック北側辺りが陣屋跡だったようです。
薬屋さんの角に案内板がありました。
足利陣屋の跡は、すっかり市街地化
されてしまい、こうした案内板がなければ、
その跡地を知る手立てはありません。
案内板によると、幕末期の足利藩の
家臣数は166名だったそうです。
この薬局の脇の小道に分け入ってみました。
少し歩くと、電信柱に足利藩陣屋と書かれた
古びた木の案内板が掛けてありました。
この先に井戸跡の表示がありました。
井戸跡は、民家の敷地に入った
一画にありました。
井戸は藩主の御書院脇にあったそうですが
そうと知らなければ、どこにでもある
家庭の井戸と変わらないものでした。
この井戸脇の案内板によると、
当時の陣屋には玄関、二の間、会所、
上ノ間、御書院そして御側役詰所や
土蔵などがあったそうです。
足利陣屋があった一帯は、雪輪町といいますが、
これは、戸田氏の馬印にちなんだ名前のようです。
また陣屋の表門が旭町の民家に
移築されているという事でしたが、
それは見つけることが出来ませんでした。