足利陣屋
Ashikaga Jinya, Japan


訪問日:
2008. 12. 23







【足利陣屋概要】


足利藩は、5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院の
意父弟・本庄宗資が1688年(元禄元年)に開いた藩です。

その後、本庄宗資は加増を受け、笠間藩に移封され、
足利の地は天領になりますが、1705年(宝永2年)に
戸田忠利が足利の所領を拝し足利藩主となります。

石高は1万1千石だったようです。


足利陣屋は、その後1758年(宝暦8年)に
4代藩主・戸田忠言
(ただとき) が築いたそうです。

以降、戸田氏が足利藩主を務め、
明治維新まで続いたそうです。




足利氏館跡の場所はJR両毛線の
足利駅の東北800m程のところです。

足利陣屋は残念な事に廃藩後の
1875年(明治8年)に焼失してしまったそうです。



【足利陣屋へのアクセス】


JR両毛線、足利駅下車。
徒歩約10分です。




【足利陣屋訪問記】



足利陣屋は鑁阿寺の西の一画にあったようです。

鑁阿寺を訪れた後、足利陣屋の跡と
思しき辺りに向かってみました。

足利駅の北口前を通る県道沿いに
陣屋大門の碑と案内板がありました。



この碑が見つかってホッとしました。
ここに当時は門が建っていたそうです。

陣屋跡はここから130m北側にあると
案内板に書かれていたので、
そちらまで行ってみました。

一ブロック北側辺りが陣屋跡だったようです。



薬屋さんの角に案内板がありました。

足利陣屋の跡は、すっかり市街地化
されてしまい、こうした案内板がなければ、
その跡地を知る手立てはありません。

案内板によると、幕末期の足利藩の
家臣数は166名だったそうです。


この薬局の脇の小道に分け入ってみました。
少し歩くと、電信柱に足利藩陣屋と書かれた
古びた木の案内板が掛けてありました。



この先に井戸跡の表示がありました。



井戸跡は、民家の敷地に入った
一画にありました。



井戸は藩主の御書院脇にあったそうですが
そうと知らなければ、どこにでもある
家庭の井戸と変わらないものでした。

この井戸脇の案内板によると、
当時の陣屋には玄関、二の間、会所、
上ノ間、御書院そして御側役詰所や
土蔵などがあったそうです。


足利陣屋があった一帯は、雪輪町といいますが、
これは、戸田氏の馬印にちなんだ名前のようです。

また陣屋の表門が旭町の民家に
移築されているという事でしたが、
それは見つけることが出来ませんでした。



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