須坂陣屋
Suzaka Jinya, Japan

登城日:
2011.10.16

【須坂陣屋概要】

豊臣秀吉の家臣・堀秀政の家老であった堀直正の
四男・堀直重が1615年(元和元年)に1万2千石で
須坂藩を立藩し、1617年(元和3年)に須坂陣屋は
その政庁として堀直升によって建てられています。

須坂陣屋は、現在の奥田神社から須坂小学校、
須坂東高校にかけて建っていたようです。


須坂の町は2001年に散策していますが、陣屋跡を素通り
してしまったので、2011年10月に須坂を再訪しました。

須坂の散策記はこちらです。
須坂に向かう際に乗車した
長野電鉄屋代線の乗車記はこちらです。

【須坂陣屋へのアクセス】

長野電鉄本線の須坂駅から東に
約1.5km、徒歩20分程です。

長野電鉄の乗車記は
こちらです。

【須坂陣屋訪問記】

長野電鉄の電車を須坂で下車し、東に
向かうと古い家並みが続いています。
その町並みの先に奥田神社があります。

その手前に陣屋稲荷がありました。


撮影: 2011年10月

須坂藩の屋敷神として京都の伏見稲荷大社から
御祭神の分霊を勧請し、創建した神社です。

創建の時期は、二代藩主・堀直升、六代・直寛
そして九代・直晧の時と諸説あるようです。

この陣屋稲荷のすぐ先に奥田神社がありました。


撮影: 2011年10月

この奥田神社は、幕末の戊辰戦争の際に、
下総で戦死した須坂藩士7名を祀る為に
1877年(明治10年)に創建された神社です。

江戸時代を通じ須坂藩の藩主だった堀氏は
今の愛知県稲沢市の奥田の出身で、元々は
奥田姓を名乗っていたので、その所縁で、
奥田神社と名付けられたのでしょうか。

須坂陣屋は奥田神社を中心に建っていたようです。
神社の南側には陣屋の鐘楼が移築されています。


撮影: 2011年10月

この鐘楼は1782年(天明2年)に建てられたものです。
陣屋の北西の、浮世小路入口にあったそうです。
その場所は、旧上高井郡役所の建物の更に北側で
当時の須坂陣屋は予想以上に広い敷地だったようです。

奥田神社の東隣の須坂小学校の北側の
敷地境には石垣が続いています。


撮影: 2011年10月

この石垣も当時のものだそうです。

奥田神社の西にある遠藤酒造場には
須坂陣屋の奧付門も残っています。


撮影: 2011年10月

神社から遠藤酒造場に向かう際の様子です。
日が西に傾き、印象的な光景でした。
江戸時代の須坂神社にも毎日こうした
夕暮れが訪れていたことでしょう。

須坂の町並みの様子は こちら です。

こちらが遠藤酒造場に残る長屋門です。


撮影: 2011年10月

当時は須坂陣屋大手門へと続く道の
脇奥付門として使われていたそうです。

また10代藩主直興公夫人寛寿院、
12代藩主直武公夫人寛栄院の居間
としても使われていたそうです。