三原城
Mihara Castle, Japan


登城日:
2006. 12. 09







三原城は、毛利元就の三男・小早川隆景が
1567年(永禄10年)から三原湾に浮ぶ島々を
繋いで築いたお城です。

小早川隆景は、現地案内板によると
毛利水軍を率いていたそうで、その為に
海に臨むお城を築城したものでしょうか。

城の完成は1596年(慶長元年)で、満潮時には
海に浮ぶ姿から浮城と呼ばれていたそうです。

地図はこちらです→ Mapion

広島に出張に行った帰り、
JR山陽線の普通電車に乗り、
三原で下車しお城に向かいました。

三原城の事はあまりよく調べず、
海に浮ぶお城だったということなので、
海辺に向かおうと駅の南口を出てみました。



駅前に駅周辺の地図が掲げてあったので、
それで城址の場所を確認してみると、
三原城址は駅のすぐ北側にあるようです。

海に浮んでいた三原城が駅の北側にあるのは
江戸時代以降に埋め立てが進んだせいかな、
と思いをめぐらせながら、北口に向いました。

駅構内を歩き、新幹線の改札のあたりに
三原城の案内板を見つけました。



この案内板を見て驚いたのですが、
なんと三原城の本丸だったところに
今の三原駅が作られているようです。



今は、本丸の北にあった天守台周辺が
僅かに残るのみで、いるようです。

先ほど駅舎の写真撮ったあたりは、
本丸御殿が建っていたあたりでしょうか。

伊丹にある有岡城も、城郭の大部分が
駅によって破壊されてしまっていますが
残念な限りです。

有岡城の様子はこちらです。


駅舎を出ると、目の前が天守台跡でした。



天守台跡は、周囲が一段高くなった
およそ30m四方程の空間です。

背後は新幹線のホームが間近に迫り、
「浮城」とよばれた三原城も無残な
姿になってしまっていました。




天守台の周囲をコの字に堀が囲んでいます。
その幅は広く、当時の三原城の
規模の大きさを示しているようです。



北側に見える山は毛利氏の桜城跡です。
ここの三原城の甲の丸があったとも
言われているそうです。


天守台から眺めていると駅北口の
東側に、もう一つ出入り口があり、
堀の対岸に行けるようだったので、
そちらにも行ってみました。



お堀の対岸から見る石垣は
なだらかな勾配で上部に行くほど
せり上がっています。

なだらかな石垣の勾配は
築城が比較的古い事をしましています。

高架になっている駅の下にも
石垣が続いていました。



この石垣は本丸の石垣跡です。
石垣の下は、南口への通路になっています。
ナトリウム・ランプに石垣がオレンジ色に照らされています。

この石垣が残る高架部分は1975年(昭和50年)に
開業した新幹線の駅舎下です。

1894年(明治27年)にこの駅が開業した時には
取り壊された石垣ですが、昭和の時代には、
少しでも石垣を残そうと配慮がなされたようです。



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