小野ヶ城 (倉敷城)
Onoga Castle, Japan


登城日:
2010. 7. 31









【小野ヶ城 概要】


小野ヶ城は、939年(天慶2年)に起きた藤原純友の乱の
征討使として遣わされた小野好古が拠点として
築いた城と云われています。

当時、鶴形山の南麓に小山があり、
そこに築城されたと伝わります。

以来、小野ヶ城は小野氏の居城となっています。





江戸時代には小野ヶ城の跡地に
倉敷陣屋や代官所が置かれました。

明治以降には、代官所の跡地に倉敷紡績が建ち
いまではアイビースクエアになっています。


アイビースクエアの散策記はこちらです。





【小野ヶ城へのアクセス】


JR倉敷駅南口から徒歩約15分。
アイビースクエア正門の道路を隔てた
東側の一角が城址と云われています。




【小野ヶ城登城記】



2010年7月、倉敷の美観地区を散策し、
アイビースクエアを訪れました。



アイビースクエアの正門です。

倉敷の散策記はこちらです。
アイビースクエアの様子はこちらです。

この正門と道路を隔てた東側にフローラルコート
というアイビースクエアの別棟があります。



この別棟のある敷地に城山稲荷がありました。



今、城山稲荷の建つ地は、倉敷紡績の工場跡地ですが、
戦国時代までは鶴形山の南の麓に小山があったそうです。

この地に小野ヶ城があったようです。



1493年(明応3年)に、当時の城主・小野好信が
伏見稲荷を勧進し、この地に稲荷神社を建てました。



1888年(明治21年)に工場の造成の為、
この城山稲荷は一旦、移築されますが、
1914年(大正3年)に今の地に再移転されたそうです。

この城山稲荷だけが、小野ヶ城を偲ぶよすがになっています。


アイビースクエアの城山稲荷には、上記の事を記した
案内板が立っていましたが、北にある鶴形山の
山頂の阿智神社の境内にも城山稲荷がありました。



アイビースクエアのある場所の小山がどの程度の
標高だったのか不明ですがその北側の鶴形山は
標高40m程で山城を築くにはうってつけです。

阿智神社からの倉敷美観地区の眺めです。



この地にも、小野ヶ城の砦や曲輪があったように思います。

阿智神社の様子はこちらです。



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