山口城 (山口政事堂)
Yamaguchi Castle, Japan


登城日:
2009. 5. 10







【山口城概要】


山口城は1864年(元治元年)に、毛利敬親公が
長州藩の藩庁を萩から山口に移したものです。

萩の散策記はこちらです。


時は幕末の動乱期でした。
この頃長州藩は攘夷実行を図りますが、
1863年(文久3年)の八月十八日の政変で京を追われると
禁門の変(蛤御門の変)で敗れ、第一次長州征伐が行われました。

長州藩は幕府に無断で、この藩庁の建設を行っていますが、
第一次長州征伐の恭順の条件として、一旦取り壊しています。

しかし、1866年(慶長2年)に藩庁を再び
萩から山口へと移しています。




山口城は、JR山口駅の北、1km程の所にあります。
北に香月山、西には大内義長が築いた嶺城のある
鴻ノ峯を抱く山懐にあります。





現在は山口県庁の敷地になっています。

山口の散策記はこちらです。



【山口城へのアクセス】


JR山口駅より徒歩約15分です。

JR山口駅前でレンタサイクルが可能です。




【山口城登城記】



JR山口駅からレンタサイクルでサビエル
記念聖堂に立ち寄り、山口県庁に向かいました。



新しい高層ビルの建つ山口県庁が
山口城跡です。



この近代的な県庁舎の南側に
山口城のお堀が残っていました。



この日はGW中の良く晴れた一日で、
お堀端の草木も輝くようでした。

お堀に県庁へと通じる土橋があり、
その先に山口城表門が現存しています。



切妻造り、本瓦拭きの薬医門です。
堂々とした立派な門でした。

幕末の動乱期、長州藩を動かした桂小五郎や、
高杉晋作らもこの門をくぐった事でしょう。

表門をくぐった後からの眺めです。



武骨な表門の様子に年月を感じます。


表門を抜けると、正面に鴻ノ峯が見えていました。



この鴻ノ峯には、1556年(弘治2年)から
毛利元就の侵攻に備えて大内義長が
築城を始めた高嶺城があります。

表門をくぐった辺りに御殿があったのでしょうか。
山口城の御殿は萩城から移築したそうです。


山口城のお堀は、表門の東側にも続いていました。



綺麗に整備され、あまりに明るい光景に当時の様子を
窺い知る事はなかなか出来ませんでしたが、
表門やこのお堀が当時の様子を伝えていました。



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