有岡城は、南北朝の頃から
当地の豪族・伊丹氏が本拠としていた
伊丹城がその起源です。
戦国時代に入り、1574年(天正2年)に
織田信長の重臣の一人、荒木村重が
大改修を行い、城下町を堀で囲む
総構の城とし、有岡城と改称しました。
有岡城は日本で最古の天守台を持つ、
堅牢な城だったようですが、
村重は1578年(天正6年)に突然、信長に反旗を翻し、
有岡城に籠城してしまいます。
当時、大阪の石山本願寺と対峙し、さらに毛利侵攻を図り、
羽柴秀吉を摂津攻略に当たらせていた信長にのって、
長用していた村重に叛かれた信長は、窮地に陥った事でしょう。
荒木村重の謀反については、
今でもその理由がよく分かっていないそうです。
村重は説得に訪れた秀吉の家臣、黒田官兵衛を幽閉し、
石山本願寺の勢力と連携したそうですが、
11ヶ月に渡る攻防の末、有岡城は落城したそうです。
その有岡城は、JR伊丹駅前にあります。
地図はこちらです→
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以前、阪急電鉄の伊丹線の乗りつぶしに出掛け、
終点の伊丹からJR伊丹駅に向かった際に、
この有岡城址の存在は認識していました。
2006年12月初めに、サッカー観戦の為に
京都に行く機会があったので、その翌日
有岡城址を訪れてみました。
JR伊丹駅の改札を出て西側に向かい
道路を跨ぐ橋を渡るとそこが有岡城址です。
有岡城の城郭の跡地の丁度真ん中を
JR福知山線が通っていて、城郭の
半分程が残っているだけです。
駅の西側の高台があり、それが
道によって二つに分断されています。
北側の高台の道路に面したところに石垣が築かれ、
そこに城碑が建っていました。
城碑の後ろに見える石垣は、多分駅前を
整備した際に復興されたものと思います。
階段を上り高台に出ると、当時の石垣や、
建物の礎石群が残っていました。
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その奥には井戸の跡もありました。
福知山線の建設の時に、城郭の
半分が失われしまい狭い城内です。
石垣跡の裏にはちょっとした雑木林がありますが
そこは立ち入り禁止になっていました。
高台から下り、雑木林の裏側に回ってみました。
雑木林の裏側は当時の空堀が
復元されていました。
織田信長の軍勢に包囲された後、
村重は妻子を残し、単身有岡城を抜け出し、
尼崎城へと落ち延びて行ったそうです。
その後、城主の居なくなった有岡城は落城し、
村重の妻子や、残った守兵は尽く命を落としました。
周囲は駅前商店街や住宅が広がり、
当時の事を偲ぶよすがもありませんでした。
有岡城址に残ったイチョウの樹が
朝陽があたり、黄葉が綺麗でした。
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総構えだった有岡城には要所に砦が築かれており、
岸の砦跡、上臈塚砦跡、鵯塚砦跡が残っているそうです。