有岡城(伊丹城)
Arioka Castle, Japan


登城日:
2006. 12. 03







有岡城は、南北朝の頃から
当地の豪族・伊丹氏が本拠としていた
伊丹城がその起源です。

戦国時代に入り、1574年(天正2年)に
織田信長の重臣の一人、荒木村重が
大改修を行い、城下町を堀で囲む
総構の城とし、有岡城と改称しました。



有岡城は日本で最古の天守台を持つ、
堅牢な城だったようですが、
村重は1578年(天正6年)に突然、信長に反旗を翻し、
有岡城に籠城してしまいます。

当時、大阪の石山本願寺と対峙し、さらに毛利侵攻を図り、
羽柴秀吉を摂津攻略に当たらせていた信長にのって、
長用していた村重に叛かれた信長は、窮地に陥った事でしょう。

荒木村重の謀反については、
今でもその理由がよく分かっていないそうです。

村重は説得に訪れた秀吉の家臣、黒田官兵衛を幽閉し、
石山本願寺の勢力と連携したそうですが、
11ヶ月に渡る攻防の末、有岡城は落城したそうです。


その有岡城は、JR伊丹駅前にあります。

地図はこちらです→ Mapion

以前、阪急電鉄の伊丹線の乗りつぶしに出掛け、
終点の伊丹からJR伊丹駅に向かった際に、
この有岡城址の存在は認識していました。

2006年12月初めに、サッカー観戦の為に
京都に行く機会があったので、その翌日
有岡城址を訪れてみました。


JR伊丹駅の改札を出て西側に向かい
道路を跨ぐ橋を渡るとそこが有岡城址です。

有岡城の城郭の跡地の丁度真ん中を
JR福知山線が通っていて、城郭の
半分程が残っているだけです。



駅の西側の高台があり、それが
道によって二つに分断されています。

北側の高台の道路に面したところに石垣が築かれ、
そこに城碑が建っていました。



城碑の後ろに見える石垣は、多分駅前を
整備した際に復興されたものと思います。

階段を上り高台に出ると、当時の石垣や、
建物の礎石群が残っていました。

> >

その奥には井戸の跡もありました。



福知山線の建設の時に、城郭の
半分が失われしまい狭い城内です。

石垣跡の裏にはちょっとした雑木林がありますが
そこは立ち入り禁止になっていました。

高台から下り、雑木林の裏側に回ってみました。



雑木林の裏側は当時の空堀が
復元されていました。

織田信長の軍勢に包囲された後、
村重は妻子を残し、単身有岡城を抜け出し、
尼崎城へと落ち延びて行ったそうです。
その後、城主の居なくなった有岡城は落城し、
村重の妻子や、残った守兵は尽く命を落としました。

周囲は駅前商店街や住宅が広がり、
当時の事を偲ぶよすがもありませんでした。


有岡城址に残ったイチョウの樹が
朝陽があたり、黄葉が綺麗でした。

>


総構えだった有岡城には要所に砦が築かれており、
岸の砦跡、上臈塚砦跡、鵯塚砦跡が残っているそうです。

"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る