茂福城
Mochibuku Castle, Mie

登城日:
2011.5.5

【茂福城 概要】

茂福城は15世紀初頭に桓武平氏の子孫・平貞冬が
越前朝倉よりこの地に移り、築城したと伝わります。

1567年(永禄10年)、城主・茂福掃部輔盈豊は信長の武将・
滝川益一によって伊勢・長島城に呼び出され謀殺されたそうです。
城主を失った茂福城側は、滝川勢と戦ったものの敗れました。

茂福城は、四日市市の北部、富田に近い位置にあります。

この茂福城には、2011年5月に訪れました。
その時の様子を紹介します。

【茂福城へのアクセス】

JR富田浜駅から北西に徒歩約15分。
または、近鉄富田駅から南西に徒歩約20分です。

【茂福城登城記】

茂福城は、四日市北部の富田の集落の南側にあります。
城址のすぐ西側を近鉄名古屋線の線路が走り、
その西側は広大な田圃が広がっています。


撮影: 2011年5月

広大な田圃に向かい、東を眺めた様子です。


撮影: 2011年5月

近鉄「伊勢志摩ライナー」の先頭車辺りの小さな杜が城址で、
線路の東側には集落が広がっているのがわかります。

この線路を走る近鉄「アーバンライナー」の乗車記は こちらです。

近鉄の線路を渡って茂福城の南東側からアプローチすると、
立派な城址碑の向こうにわずかな盛り土が見えました。
ここが茂福城の主郭跡です。


撮影: 2011年5月

主郭は、茂福城の北西隅にあったようです。
土塁の脇とその頂部に石碑がありました。

 
撮影: 2011年5月

土塁脇の薄っぺらい石碑は剥げかかって
読みにくいのですが、茂福城址の碑です。
もう一つの碑が最後の城主茂福盈豊の碑のようです。

茂福城主郭から、南東方向(写真下左)と
南西方向(写真下右)の様子です。


撮影: 2011年5月

城の南西側は水田となっています。
当時は、茂福城は深田に浮かぶ
水城だったように思います。

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