足利氏館
Ashikagashi Kan, Japan


登城日:
2008. 12. 23







【足利氏館概要】


足利氏館は源義家の三男・源義国と
その子で初代足利氏の足利義康が
築いた邸宅です。

ほぼ四辺形の建物の周囲を堀が囲む
中世城館の趣を残したお城です。




1196年(建久7年)に足利義康の子・義兼が
足利氏館の場所に鑁阿寺を建立した為、現在では
足利氏館跡は鑁阿
(ばんな) 寺の境内となっています。

鑁阿寺の境内の様子はこちらです。


足利氏館跡の場所はJR両毛線の
足利駅の東北800m程のところです。







【足利氏館へのアクセス】


JR両毛線、足利駅下車。
徒歩約10分です。




【足利氏館登城記】



鑁阿寺の境内となっている足利氏館ですが、
現在でも館跡の堀が境内の四方を囲み、
東西南北に4つの門が残っています。


足利学校から鑁阿寺に向かうと、
反橋と仁王門が見えてきました。



仁王門は開基・足利義兼公が
1196年(建久7年)に創建したものですが、
室町時代に兵火に遭って焼失し、
1564年(永禄7年)に再建されています。



本堂は1299年(正安元年)に建てられ、
重要文化財に指定されています。

逆光の中、本堂の北に広がる空き地越しに、
鑁阿寺の伽藍がシルエットになって
浮かび上がっていました。




現在はお寺になっている足利氏館跡ですが、
境内の北の一画には足利氏にちなむ
お堂がありました。

まずは御霊屋です。
この御霊屋は本殿に源氏の祖を祀り、
拝殿に足利15代将軍の像を祀ってあるそうです。



赤い色も鮮やかなこの御霊屋が造られたのは
鎌倉時代とも言われ、正和年間(1312〜1317年)の
伽藍配置図にも描かれているそうです。

本殿の裏には鑁阿寺を開いた足利義兼公の
祖父・源義国公と、父で初代足利氏の
足利義康公のお墓があるそうです。

この二人によって足利氏館が築かれています。


その右隣には大酉堂がありました。



このお堂は、足利氏第8代当主で室町幕府を
開いた足利尊氏を祀っているそうです。


境内を一巡りした後、鑁阿寺の
周りを囲む堀を一周してみました。



まずは仁王門に戻り、お堀に
架かる反橋からスタートです。

仁王門から堀に沿って東に向かいました。
堀の向こうに高さ2m程の土塁が続いています。



堀に沿って、東南角を北に折れても
堀と土塁が続いていました。

堀の幅は2m程でしょうか。
鴨が堀に泳いでいました。


やがて東門に辿り着きます。



この東門は1423年(永享4年)に
公文所奉行が再修したそうです。

東門の北側の土塁は低くなっていました。



鑁阿寺の境内の北側に回り込み
北門に至りました。

この北門は、薬医門形式の門です。



鑁阿寺を開いた足利義兼の子、
足利義氏が鑁阿寺の堀の外に造った
12の支院の一つ千手院の門だったそうです。

そして、こちらが西門です。



この西門も東門と同じく、
1423年(永享4年)に公文所奉行が
再修したそうです。


四方を堀に囲まれた足利氏館跡。
当時も、今日残るように、四方に
門が建っていたのでしょうか。



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