小泉城
Koizumi Castle, Japan


登城日:
2006. 10. 27







小泉城は、群馬県邑楽郡大泉町にあるお城です。
実は、このお城の存在を知らなかったのですが、
東武鉄道小泉線に乗ろうと地図を見ていたとき、
終点の西小泉駅近くにある、このお城を地図で見つけ、
行ってみる事にしました。

地図はこちらです→ Mapion

東武鉄道小泉線の様子はこちらです。


小泉城が築城されたのは、1489年(延徳元年)。
冨岡主税介直光が築城し、以降100年にわたり、
冨岡氏が支配するお城だったようです。

戦国時代に入ると、上杉謙信の庇護を受けていましたが、
最終的には北条氏の支配下に入り、北条氏が
秀吉に滅ぼされると、廃城になったようです。




これは、現地案内図ですが、城址の北半分、
本丸と二の丸はほぼ完全に残っており、
三の丸が中学校の敷地になっているようです。


東武鉄道 小泉線の電車が西小泉駅に到着する前に、
車窓左手に小泉城址の土塁や堀が見えてきました。

西小泉駅から住宅街を抜け、10分程歩くと
緑に囲まれた小泉城址に辿り着きました。

お堀の向こうに2m程の高さの土塁が残っています。




お堀を越えると、三の丸の敷地だったところが
芝生広場のように広がっていました。




この先にもお堀があります。
小泉城は小さなお城と思っていたのですが、
いくつものお堀に囲まれ、なかなか立派な
縄張りになっていたようです。




二の丸には、古墳の遺跡や
百庚申と呼ばれる石碑群がありました。




庚申信仰は、体内に住む三尸(さんし)という虫が
庚申の日の夜中に出てきて、その人の悪行を
天帝に知らしめるので、寿命が短くなるという言い伝えだそうです。
その為、庚申の日には寄り合って一晩を
明かすという風習が出来たそうです。

この百庚申は、江戸時代中期以降に小泉城西側の
土塁に建てられたものをここに移築したそうです。


そして、二の丸から本丸跡に向かいました。
本丸跡を取り巻く水堀は、完全な形で残されています。




本丸を取り巻く土塁も一段と高く、
戦国時代に珍しく平城であった小泉城の
堀を幾重にも重ねる事で防御性を
高めようとしていたの様です。

そして、その本丸跡は一辺が約100m程の広さです。
戦国時代のお城としては決して狭くはありません。




今ではゲートボール場になって、
近所のお年寄りがプレーに熱中していました。

あまり予備知識を持たずに出掛けた小泉城でしたが、
行った価値は十分にありました。

関が原以前に廃城になっているのに、
遺構がかなり残っている事に驚き、
北条氏と上杉氏の領地の境界近くにあって
重要な意味を持つお城だったのかな?と
思いを膨らませていました。



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