世田谷城
Ruins of Setagaya Fort, Japan
登城日:
2009. 3. 12
世田谷城は、奥州吉良氏の吉良治家が、
14世紀後半に、初代鎌倉公方・足利基氏に
招かれ居住したのが始まりだそうです。
この奥州吉良氏は、三河・吉良を本拠とする
吉良氏と同系で、室町幕府においては
高い地位を有していたそうです。
城址の案内板によると、世田谷に本拠を構えた
世田谷吉良氏はその後、北条氏の傘下に加わり、
16世紀には北条氏と上杉氏の勢力争いが生じ、
1530年(享禄3年)、世田谷城も攻略されたと伝わります。
その後、再び吉良氏の支配下になりますが、
1590年(天正18年)、秀吉の小田原征伐の際に、
世田谷城は開城され、そのまま廃城となったそうです。
豪徳寺近くに世田谷城址公園が整備されています。
当時の世田谷城は、城址公園から豪徳寺に
かけての辺りに位置していたようです。
豪徳寺の様子はこちらです。
【世田谷城へのアクセス】
東急世田谷線、宮の坂駅下車。
宮の坂から世田谷城址公園へは
約200m程、徒歩5分です。
東急世田谷線の乗車記はこちらです。
【世田谷城登城記】
住宅地が建ち並ぶ世田谷区のほぼ中央。
東急世田谷線を宮の坂駅で下車し、
駅前の小路を東に向かうと
世田谷城城址公園に辿り着きます。
児童公園の脇に立派な土塁がありました。
土塁の下側の石垣は、公園整備の際に
築かれたと思われます。
土塁の手前には空堀があったのでしょうか。
この土塁を超えると、規模の大きな空堀があり
その先に再び立派な土塁がありました。
空堀の底に架けられた石橋を渡り
対岸の土塁へと上りました。
土塁から眺める空堀の様子です。
世田谷城は武蔵野台地から南東に延びる
舌状台地の先に築かれたそうです。
土塁東側から眺めた様子です。
周辺はすっかり宅地化されてしまい、
地形が良く判りませんが、
世田谷城址公園は土塁の先端にあり、
往時の世田谷城はこの北側に広がっていたようです。
近くの豪徳寺の参道もお堀跡と言われ
その間にある団地にも土塁と空堀が残るそうです。
この時訪れた際には、下調べ不足で
見逃してしまいましたが、再訪の機会があったら
しっかり眺めて来ようと思っています。