下館城
Shimodate Castle, Japan


登城日:
2010. 2. 03







【下館城概要】


下館の地には、781年(宝亀12年または天応元年)に
藤原魚名が上館、中館、下館の3つの館を
築いた事に由来するそうです。

平将門が乱を興した940年(天慶3年)には
この乱を平定する為に、これら3つの館に
藤原秀郷が陣を敷いたとも伝わります。

その後、1478年(文明10年)には
水谷勝氏が下館城を築城しています。





水谷氏はその後、勝国、勝之、勝吉、治持そして
正村とこの領地を治め、勢力を拡大していきます。

水谷勝俊の代に、豊臣秀吉から4万7千石を拝し
勝俊は初代・下館藩主となります。


下館城は小貝川の支流の五行川の
河岸段丘に築かれています。

五行川に沿い本丸、二の丸、三の丸が
南北に並んだ連絡式縄張りで、本丸の
西側には西城が配されていたようです。




東は五行川が天然の堀となり、台地上の
郭にはいくつもの堀が築かれています。


水谷勝俊は1639年(寛永16年)に備中成羽に移封となり、
水戸初代藩主・松平頼房の長子の松平頼重が
5万石で下館藩主となりました。

その後、増山氏、井上氏、黒田氏と藩主が入れ替わり
1732年(享保17年)に石川総茂が、伊勢神戸藩から
移封すると、明治まで石川氏がこの地を治めました。

下館の散策記はこちらです。




【下館城へのアクセス】


真岡鐡道・下館二高前駅から徒歩約10分です。

真岡鉄道の乗車記はこちらです。





【下館城登城記】



2010年2月3日に下館城を訪れました。

下館の散策記はこちらです。

下館城の城主だった水谷氏の菩提寺、
定林寺から東に向かい、下館の街を
南北に流れる五行川の畔に出ました。



五行川の右岸の段丘の上に下館城はありました。
下館の街からは筑波山が見えています。



当時の城主も、この筑波山を眺めていた事でしょう。


下館城の跡は今ではすっかり市街地化され、
比較的小さな本丸跡が城山八幡神社として残るのみです。



その城山八幡神社には、近くで行われていた
道路工事の車が、何台も停められていました・・・

境内にあった城址碑です。



下館城の名残を示すのは、この碑だけの様です。
質素な佇まいの城山八幡神社の社殿です。



この八幡神社は1732年(享保17年)に下館に
入封した石川総茂が建立したものだそうです。
本殿は市の文化財に指定されています。


下館城の散策はあまりにあっけないので、
下館城の東を流れ、天然の護りとなっていた
五行川まで行ってみる事にしました。

城山八幡神社の南には、二の丸と三の丸跡に建つ
下館小学校があり、その間に細い道があります。



五行川に向かって下り坂となっている
道を歩いて行きました。

五行川の左岸から眺める下館城址です。



丘の上に建つ小学校の校舎が二の丸跡、
その右手の杜が本丸跡の城山八幡神社です。

五行川から坂道を上り、
下館小学校の南側に向かいました。



当時は三之丸や侍屋敷があったと思いますが、
その痕跡は全く残っていませんでした。




"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る