土浦城
Tsuchiura Jyo, Japan


登城日:
2006. 05. 01






地図はこちらです→ Mapion


土浦城は15世紀初め頃、この辺りを治めていた
小田氏の被官若泉氏が築いたのが
その始まりと言われているそうです。

1516年(永正13年)、小田氏の武将
菅谷勝貞が土浦城を攻め落とし、
城主となります。

その後、佐竹氏が支配下となるものの、
秀吉の天下平定により、1590年に
家康の次男結城秀康が入城しました。

結城秀康が1601年に越前に移封となった後は、
目まぐるしく藩主が替わり、1678年に土屋政直が
2度目の土浦城主として移封された後は
幕末まで土屋氏の支配が続いたようです。

土浦城の城郭は、江戸幕府が始まった
17世紀初めから整備され、
本丸の周囲を、霞ヶ浦の水を引き込んだ
水堀が幾重にも取り囲んだ
水城だったそうです。


その土浦城に、2006年5月1日に行ってきました。
つくばエキスプレスの乗車と筑波山に
行ったついでに立ち寄ったのです。

つくばエキスプレスの様子はこちらです。
筑波山の様子はこちらです。


土浦城は土浦駅から歩いて15分程。
商店街が続く道に面して、城址が現れました。

まず目につくのが、城址公園の
北東の角にある東櫓です。



当時の名残の水堀に沿って建つ櫓。
1998年(平成10年)に木造で
復元されたものだそうです。

東櫓の脇の霞門です。



本丸への入り口となる門で、現存です。
この門をくぐって本丸に入ります。

本丸跡は、サッカー場を一回り
小さくした程の空間が広がっていて、
その周囲は土塁で囲まれています。
当時はここに本丸御殿があったのですが、
今では、子供達の遊び場になっています。

東櫓の内部は見学できるようになっているのですが、
月曜日の今日は残念ながら休館日でした。

東櫓の南側は、比較的新しく出来た
土塀が続いていました。




この土塀の先には、
現存の櫓門が残っていました。



本丸と二の丸を隔てる城門だった門で、
太鼓門とも呼ばれていたそうです。


ここから大きな椎の木や藤棚がある
旧二の丸へ出てみました。

近所のおじさんといった感じの
中年の男の人が何人か、
所存無く公園のベンチに座っています。

二の丸を通り、再び本丸に戻り
次は西櫓の見学です。



この西櫓も現存していたのですが、
1949年の台風で倒壊してしまい、
それを1990年(平成2年)に復元したということです。

東櫓もこの西櫓も石垣の上ではなく
土塁の上に直接建てられていて、
それがちょっと違和感を覚えます。

関東のお城には石垣が少ないそうですが、
他のお城もこのような感じだったのでしょうか。


思いがけず多くの遺構が残る土浦城の
訪問をこれで終え、駅に戻る事にしました。

城址の東に残る水堀です。



水堀には亀が沢山いました。

土浦城は、低湿地の中のお城の様子が
水面から顔を出した亀に例えられ、
亀城という別名があるそうですが、
水堀の亀がお城の名前の
由来と思えるほどの沢山いました。

水堀の先にも当時の遺構がありました。



旧前川口門です。
高麗門形式のこの門は、
城郭と町屋との仕切りの門で、
土浦城の搦め手にあたるようです。

ここから細い路地を抜けて駅に向かいました。
路地の先には昔ながらの蔵の建物が
建っていました。



旧水戸街道沿いに、
小ぶりな常夜灯もあり、
城下町土浦の面影を残す一角でした。






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