浦賀城
Uraga Fort, Japan


登城日:
2009. 6. 6







【浦賀城概要】


浦賀城は後北条氏が、房総半島の里見氏の
攻撃に備えて築いた出城と言われています。

北条氏康が築城したと現地の案内板に書かれており、
これによると,北条氏康が里見氏と衝突した
1960年代前半頃に築城されたのでしょうか。

城下にある専福寺が1503年(永正元年)に創建されており、
この頃に築かれたとすると、当時三浦半島を支配していた
三浦氏が築城したものと思われます。




浦賀城は、浦賀湊の東側の岬の
先端の小高い丘にありました。

叶神社の裏の明神山が城址です。



これは、浦賀湊を隔てた浦賀の
西側からの浦賀城址の眺めです。

浦賀の散策記はこちらです。



【浦賀城へのアクセス】


京浜急行電鉄本線浦賀駅より
徒歩約15分です。

京浜急行電鉄本線の乗車記はこちらです。




【浦賀城登城記】



京浜急行の電車を浦賀駅で降り、
浦賀湊の東側の集落に沿って
南に向かいました。

小さな岬の先端近くの叶神社です。



小高いところにある拝殿の裏の
明神山に上る階段が続いていました。



この階段を上ったところに
浦賀城があったそうです。

階段を上ったところに、僅かな平地があり、
その先に更に階段が続いていました。



その階段の上り口には、
勝海舟断食の碑が立っていました。

1860年(万延元年)、咸臨丸がアメリカに渡った際、
勝海舟は、咸臨丸が浦賀の湊を離れる前に、
航海の安全を祈り、ここで断食の行をしたそうです。


階段を上り詰めた山頂は平らに削られ、
そこが浦賀城本丸跡と思われます。



その一角に、勝海舟断食の
跡が残されていました。



その奥には、叶神社の奥院もありました。




この浦賀城からは、目の前の
浦賀水道の眺めが広がっていました。



この日は、生憎の雨模様で、霞んでいましたが、
晴れていれば、里見氏が拠点としていた
房総半島が手に取るように見えると思います。

山頂の曲輪の藪も、濡れそぼっていました。



藪を探索すると土塁や堀切があったようですが、
藪も深く、この日は浦賀城からの眺めに
満足して、浦賀城の散策を終える事にしました。

城内にあった碑です。



房総半島を支配していた里見氏に対する為に
築かれた浦賀城ですが、1577年(天正5年)に
里見氏と北条氏が和睦すると、この浦賀城の
戦略的な意味は薄れたと思われます。



浦賀のページのTopに戻る

"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る