1990年頃、宇都宮市役所の近くに住んでいた時、
そのすぐ近くがかつてお城跡とは、全くわからない程
市街地化され、小さな石碑が残っているだけでした。
その宇都宮城も本丸の一部が復元されたというので
2008年5月に再生なった宇都宮城を訪れてみました。
宇都宮市役所から東に向かっていくと
住宅地が開け、高い芝生の土塁の上に建つ
清明台が聳えていました。
清明台は、2重2層の櫓ですが、
江戸時代には天守代用とされていたそうです。
広い内堀と、土塁の上の土塀も見事です。
土塁の高さは10mあるそうです。
土塁の南側を眺めた様子です。
土塁の端にある櫓は富士見櫓です。
富士見櫓も清明台と同じく2重2層の櫓で、
いずれも2007年(平成19年)に
木造での復元がなされています。
さっそく、土塁に上り
富士見櫓に向かいました。
本丸側から眺めた富士見櫓です。
土塁の端に転落防止用の柵があったり
しますが、復元の場合、安全対策上
致し方ないことでしょう。
富士見櫓の内部です。
いくつもの木造復元天守や
櫓、城門を訪れていますが、
新しい木の香りのする城郭建築というのは
いいものです。
当時は、櫓の内部には戦闘用の火器や兵器、
それに兵糧が収められていた事と思います。
富士見櫓から眺める宇都宮市街の様子です。
中央左手に聳える高い建物は
宇都宮市役所です。
10mの高さの土塁から眺める本丸跡です。
当時はここに本丸御殿が建てられていました。
宇都宮釣天井事件の舞台となったところです。
宇都宮釣天井事件は、日光参拝の帰路に
宇都宮城に宿泊予定だった徳川秀忠に、
宇都宮城で不審な普請がなされているとの
報がもたらされ、秀忠は夜を徹し、
江戸城まで帰ったという逸話です。
将軍が宿泊する部屋の天井を
深夜に落下させる仕組みが
なされていたとされています。
この件もあり、当時の藩主・本多正純は
改易されてしまいますが、後の調査で、
この釣天井の仕掛けはなかった事が
明らかになっているようです。
富士見櫓から天明台へと続く
土塁の上に築かれた土塀です。
そして、先ほど、お堀端から
眺めた清明台です。
市街地のビルを背景に聳える
清明台は凛とした佇まいです。
清明台の土台の土塁に、
コンクリートの出入り口が見えます。
実はこの高さ10mの土塁は昔ながらの工法ではなく
コンクリート製の枠の上に土を盛ったものです。
清明台から眺めた宇都宮の街の様子です。
内堀の外側の一画は、三の丸広場です。
土塁を下り、本丸跡から眺めた
清明台の様子です。
本丸跡の反対側には
清明館という建物があり、
その周囲に石垣で囲われた
小さな堀がありました。
この堀は、当時のものではないと思います。
清明館から御本丸広場を横切り、
土塁の下をくぐって、おほり橋を渡りました。
土塁の下をくぐった時の様子です。
土塁の内側はこのようにコンクリートで
しっかりと覆われています。
コンクリートの壁には当時の宇都宮城の
絵図が掲げられていました。
当時はなかったおほり橋を渡り、
二の丸跡に作られた緑の小路を歩きました。
みどりの小路から眺めた宇都宮城の
土塁と土塀です。
清明台が小さく左端に見えています。
こうしてみてみると、おほり橋を渡った
ところにある出入り口が、土塁の中央に
ぽっかりと空いているのが残念です。
このみどりの小路には、
二の丸堀と堀の跡がありました。
現地案内板にあった、
土塁の発掘調査時の写真です。
幾層も土を重ね、土塁を築いたようです。
殆ど、跡形もなかった宇都宮城が
一部でも復元されて木造の櫓も
建てられたのは嬉しいことでした。
コンクリート製の土塁は、工費削減の為なら
致し方ないと思いますが、
土塁の真ん中に出入り口を空けて
当時はなかった橋を架けたりするのは、
やはり、残念でした。
宇都宮城には、今後も本丸御殿や
本丸の出入り口だった清水門や
伊賀門の復元が計画されているそうです。