川中島古戦場公園の西北700mほどの所には
その後、藤牧氏が広田氏を継ぎ、1561年
江戸時代に入り、戦がなくなると、
東昌寺は、藤牧氏の館跡とされています。
藤牧館には2011年10月に登城しています。
長野駅からアルピコ交通の松代行バスで
2011年10月、廃線間近の長野電鉄屋代線に乗車し、
長野電鉄屋代線の乗車記はこちらです。
1555年(天文24年)の第二次川中島の戦いの際に
桑山茂見の様子はこちらです。
広々とした田園地帯から集落へと入りました。
上の写真は、東昌寺の周囲を巡る道路から
藤牧館跡に建つ東昌寺です。
屋根の棟木には真田氏の六文銭が描かれています。
2011年にこの東昌寺を訪れた際には、
この記事を書くに際して調べてみると、
しかし、広田城が一辺が400mの規模だったとすると、
東昌寺の北側には土塁の一部が残っている
上の写真は、東昌寺の周囲の様子です。
Fujimaki Yakata, Japan
登城日:
202011.10.16
かつて広田氏の館があったと言われています。
広田氏は広田・藤牧の地を治め、その館は
東西南北400m程の広さがあったそうです。
(永禄4年)の第四次川中島の際には武田方の
砦となり、広田城と名付けられたそうです。
城跡には昌龍寺や東昌寺が建っています。
小島田バス停下車。南西に徒歩約20分です。
川中島古戦場跡を訪ねる旅をしていました。
武田信玄が本陣を置いた大堀館を訪れた後、
南西に向かい桑山茂見の墓のある狐丸を
訪れた後に、藤牧館を目指しました。
撮影: 2011年10月
撮ったものですが、当時は堀で囲われた
曲輪跡をお寺にしたようですので、
この道路は当時の堀跡になります。
撮影: 2011年10月
撮影: 2011年10月
赤い屋根が印象的でした。
東昌寺が広田城跡と思って訪れていました。
東昌寺は藤牧館跡とされ、広田城址は
150m程東の昌龍寺とされているようです。
幾つかの曲輪があった筈で、藤牧館は広田城の
曲輪の一つだったような気がします。
そうですが、見逃してしまいました。
撮影: 2011年10月
当時は、周辺には田圃や低湿地が
広がっていたのでしょうか。