安田城
Yasuda Castle, Japan

登城日:
2012.06.01

【安田城 概要】

安田城は富山平野の西部にある平城です。
戦国時代に築かれ、1585年(天正13年)に、豊臣秀吉が佐々成政を
攻めた際に、本陣となった白鳥城の支城として利用された古城です。
前田氏の武将の岡嶋一吉が居城したそうです。

安田城は、富山平野の西側に位置しています。

安田城は、平坦な富山平野の中にある平城です。
本丸、二ノ丸そして右郭の遺構がほぼ完全に残っています。


本丸へは二ノ丸からの土橋を通っていくことが出来ます。

曲輪の周囲には水堀が巡らされ、堀を含めた広さは
東西約150メートル、南北約240メートルとの事です。

安田城には2012年6月に登城しています。

【安田城へのアクセス】

高山本線婦中鵜坂駅から西に約1.3km、
徒歩約20分の距離です。

高山本線の乗車記はこちらです。

【安田城登城記】

高山本線の普通列車を婦中鵜坂で下車し、
西に向かって歩くと井田川に架かる橋を渡りました。


撮影: 2012年6月

井田川を渡り、少し歩くと、水堀に
浮かぶような安田城址が見えてきました。
水堀の向こうに、立派な土塁が続いていました。


撮影: 2012年6月

水堀越しに、二ノ丸の立派な土塁が見えています。
下の写真は、二ノ丸へと続く土橋の様子です。


撮影: 2012年6月

土橋を渡った二ノ丸の様子です。
二ノ丸は南北に50m、東西30m程の広さです。


撮影: 2012年6月

建物が残っていない曲輪は広々としていました。
当時は、ここに兵士たちの宿舎などが建っていたのでしょうか。

二ノ丸の西側には右郭があります。
二ノ丸と右郭の間の水堀の様子です。
二ノ丸から右郭への土橋から眺める水堀です。


撮影: 2012年6月

水堀の幅は20m近くもあり、戦国時代の
堀の幅としては、広いものだったと思います。

右郭には、安田城の城郭模型や縄張り図がありました。


撮影: 2012年6月

安田城のような平城は、戦後の経済成長期に破壊され
跡形も無くなっている事が殆どで、このようにほぼ完全な
姿で残っている事は非常に珍しいと思います。

右郭から更に水堀を渡った所に、安田城資料館がありました。


撮影: 2012年6月

ここでは、縄張り図などを入手する事が出来るそうです。
資料館の前には、コミュニティバスの停留所もありました。
速星駅とを結んでいますが、本数が少ないようです。

資料館からは水堀の外側を反時計回りに歩き、本丸を目指しました。
朝早くに訪れたので、水堀には蓮の花が咲いていました。


撮影: 2012年6月

右郭の外側の水堀を過ぎ、本丸の周囲を巡る内堀の淵に出ました。


撮影: 2012年6月

内堀越しに立派な本丸の土塁が見えています。
安田城の再整備は1990年(平成2年)から
1992年(平成4年)にかけて行われています。

本丸の周囲の水堀を巡り、本丸の東北隅から
本丸土塁に登りました。

安田城は、ほぼ完全に遺構が残されていますが、
本丸の東北隅だけは、近くを流れる井田川の
堤防の為に、遺構が破壊されています。


撮影: 2012年6月

整備された土塁は頂部が幅7m程もあり、近世城郭で
あれば、多門櫓が建っていたと思われるほどです。

土塁の上から眺める本丸の様子です。
本丸は約50m四方の広さです。


撮影: 2012年6月

本丸の東側の水堀の様子です。
下右の写真は、二ノ丸の方向を眺めたものです。
木の生えている所が二ノ丸です。


撮影: 2012年6月

本丸の土塁を、時計方向に巡り、南側に向かうと、
二ノ丸との間の水堀を眺めることが出来ます。
二ノ丸と本丸との間に架かる土橋も見えていました。


撮影: 2012年6月

前田利家が1599年(慶長4年)に死去すると、前田利長は
金沢に移り、岡嶋一吉も前田利長に従い金沢に移ります。
その後、代官平野三郎左衛門が居城しますが、江戸時代
初めの慶長年間(1596-1615)に廃城になったそうです。

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