杵築城(木付城)
Kitsuki Castle, Japan


登城日:
2008. 12. 07







【杵築城概要】


杵築城は戦国大名・大友氏の流れを汲む
木付氏4代の頼直が、1394年(応永元年)に
築城した木付城が始まりです。

杵築城は国東半島の南東部、八坂川の
河口部の台山と呼ばれる高台にあります。




東は伊予灘を望む地形で、
高台の北には高山川も流れています。

牛が寝ている形に似ているので、
臥牛城とも呼ばれているそうです。

1593年(天正15年)には島津義弘の軍勢が
木付城を攻めたそうですが、木付氏16代の
鎮直は、これを退けたそうです。

大友氏が第22代・義統の時に滅びると
一族の木付氏も滅び、以降は前田氏、
杉原氏が城主となっていました。

1599年(慶長4年)からは小倉藩主の細川氏、
小笠原氏が城代を置くようになっっていましたが
1645年(正保2年)に能見松平氏の
松平英親公が豊後高田藩より移封されると、
以降、明治維新まで、能見松平氏が治めたそうです。


ちなみに杵築の地名は、1711年(正徳2年)に
徳川第6代将軍・家宣公の朱印状に記されており、
以降杵築と書き表すようになったそうです。





台山に築かれた杵築城は4つの区画に分けられ、
一番東の端には天守も築かれていました。

杵築城には1596年(慶長元年)に震災、
1597年(慶長2年)に暴風雨と相次いで天災が襲い
台山北側に居館が移されていたそうです。

1645年(正保2年)に松平英親公が城主となると
台山の上の主郭部は廃止され、西側に
居館や政庁が置かれたようです。

杵築の街歩きの様子はこちらです。


この杵築城には2008年12月に訪れています。
その時の様子を紹介します。



【杵築城へのアクセス】


JR日豊本線、杵築駅下車。
杵築駅から杵築バスセンター前行きに
乗車し、杵築市民会館下車、徒歩すぐです。

JR杵築駅からのバスの時刻表はこちらです:
http://kitsuki.skr.jp/modules/busjkh1/




【杵築城登城記】



JR杵築駅からのバスを杵築市民会館で下車すると
丘の上に建つ杵築市民会館へと向かう道に
城山公園の碑が建っていました。



この道を進むと杵築城です。
道の左手には、台山の麓に
作られた堀もありました。



鳥居をくぐり高台に上ると、目の前に
八坂川の流れ、そして前方に、木々の間から
杵築城の天守閣がその姿を見せていました。



市民会館を迂回するように進むと
青筵神社の鳥居と拝殿が見えてきました。



城内にある神社なので、杵築藩と所縁が
あるのかと思いましたが、1936年(昭和11年)
創建の新しい神社のようです。


青筵神社辺りが、4つの郭の一番
西にある郭で、この先が3の郭です。



青筵神社前を通る車道を東に向かうと
土塁の上に土塀が築かれ、
石段が伸びていました。



この石段を上ると、意外にも
広々とした郭跡が広がっていました。



当時は空堀があったようですが、
それは埋められてしまったのでしょうか。


この模擬の城門を抜けると二の郭になります。



この門をくぐった所にあった石碑です。
「葷酒禁門内」と書かれていました。



あたりは「古代文化公園」となっていて
庚申塚など、多くの石碑や
五輪の塔が集まっています。



傾きかけた日を浴びた石碑の
様子がとても印象的でした。
落ち葉もとってもいい雰囲気を
醸し出していました。

この古代文化公園でしばらく落葉と
石碑の写真を撮ったりしていましたが、
いよいよ模擬天守閣のある一の郭へと向かいました。



天守閣へと向かう道から振り返って眺めた様子です。
模擬天守の近くには立派な碑が建っていました。



小串邦太、小串為八郎の碑です。
この小串兄弟は、幕末の尊王攘夷派の志士で、
杵築藩を脱藩し、長州で活動していたようです。

そして、杵築城の模擬天守閣です。



小ぶりな三重の模擬天守閣は
1970年(昭和45年)に建てられました。

杵築城の天守閣は小ぶりながら
伊予灘に面して建っているので、
天守閣からの眺めは素晴らしいものでした。



八坂川の河口に架かる杵築大橋、そして
上流には遠く由布岳の姿も見えていました。
傾きかけた陽が輝いています。

そして東側には、伊予灘が広がっていました。



遠く、佐賀関や佐多岬も見えていました。
とても広々とした雄大な景色です。


天守閣から雄大な景色を眺めているうち
杵築大橋からは天守閣がよく見えるだろうと
思い立ち、行ってみることにしました。



三の郭辺りから台山の北側への降り口があり
ここから杵築大橋へと向かいました。

杵築大橋から眺める杵築城模擬天守閣の様子です。



小さな天守が載る台山の
険しい崖の様子も手に取るように見えました。

垂直に近い崖が続いていて、杵築城は
難攻不落のお城だったことでしょう。



杵築城天守の左手、滔々した八坂川の流れ。
杵築大橋からの眺めも素晴らしいものでした。

この杵築城には、巌流島の戦いで
佐々木小次郎を倒した宮本武蔵も
訪れたとの言い伝えもあるそうです。


この後、杵築に残る城下町を散策しました。

杵築の町の様子はこちらです。




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