駅前通りの一本西側の通りを真っ直ぐ
北に向かい、10分程で城址に到着です。
猪苗代駅を出ると広がっていた田圃の先に
集落が現れはじめた辺りにある比高20m程の
小高い丘が猪苗代城址でした。
道路脇の駐車場の先に低い石垣がありました。
城址は、近所の子供達の遊び場になっているのか、
小さな子供さんを連れたお婆さんが、
城址の丘から丁度降りてくるところでした。
石垣で囲まれた一角に何故か鐘撞き堂があります。
ここは大手門にあたる虎口の石垣です。
小さな案内板がここに櫓門や多聞櫓が
建っていた事を知らせています。
三本杉の脇を階段で登っていきます。
この階段は当時のものではないようです。
階段を上ったところで左右に道が分かれ、
ます右手に進み北の郭を目指しました。
まずは城内にあった稲荷神社が見えてきます。
これは稲荷神社の参道にからの眺めです。
冬の枯れ草色の城址に鳥居の赤色が
アクセントになっていました。
稲荷神社の社の裏手、
一段高くなっているところが北の郭です。
当時は隅櫓が建っていたこの郭ですが、
いまでは遊具が置かれていました。
この北の郭は、猪苗代城の麓をぐるりと
取り囲んでいる二之郭に繋がっているのですが、
先ほどの階段を上りきったところに戻り
今度は左手の道を進み、本丸を目指しました。
古い野面積みの先の短い階段を上り、
階段の先のT字路を左手に進み、
再び階段を上っていきます。
階段の先には櫓台の石垣が残っていました。
この階段を上りきると本丸跡です。
本丸跡は、ざっと70m x 50n程の敷地があり、
その周囲は土塁で囲まれていたようです。
今は芝生が植えられ整備されていますが、
当時は、ここに御座の間、塩蔵や兵器庫それに茶室と、
城主や城代の生活と籠城戦への備えを兼ねた
猪苗代城の中枢部だったところです。
所々に雁木と呼ばれる階段状の
石垣が残っていました。
当時は土塁の上にも土塀や多聞櫓が
取り巻いて守りを固めていたのでしょうか。
小高い本丸跡からの展望は良く開けていて、
東には猪苗代の集落が見えました。
その反対側、西北の方角には
磐梯山が聳えていました。
12月の雪の殆ど無い磐梯山ですが、
この山はいつ見ても見とれてしまう様な
魅力を持っています。
本丸の裏側は急な傾斜の土塁になっていて
狭い二之郭が丘の中腹を
鉢巻状に取り囲んでしました。
石垣の使われていた大手側とは
様子がかなり異なっています。
二之郭の北側も急な土塁となって
丘の基盤の平地へと続いていました。
本丸の背面は二之郭を挟んで
2段の急な斜面の土塁で
敵の侵入を防ぐ設計になっていたようです。
二之郭を土塁に沿って半時計方向に
西側から南へと進みます。
細長かった二之郭から南の郭に辿り着きました。
ここは、当時は番小屋や煙硝蔵があった曲輪です。
この南の郭からは、田園地帯の向こうに広がる
猪苗代湖が望めます。
郡山から中山峠を越えて会津若松に向かう軍勢は
この田園地帯を進まざるを得ず、
ここからは、その軍勢が手に取るように
見えたことでしょう。
猪苗代城はその敵勢を向かう撃つ絶好の位置に
築かれている事が実感出来ました。
城址南側にある急斜面の土塁と空堀の様子です。
急な傾斜をつけた土塁と空堀は
西日本にある石垣で固めたお城とは異なり、
野趣に富んだ防御の構えです。
猪苗代城のほぼ全域を見終わった後、
お城の西側が公園のように整備されているので、
そちらへ行ってお城の様子を眺めてみました。
小高い丘に築かれたこの土のお城は
中世城郭のようで、江戸時代末まで、
御殿や櫓、土塀等が建てられていたとは
なかなか想像出来ませんでした。
この後、猪苗代湖畔へサイクリングし
野口英世記念館まで行ってきました。