白河小峰城
Shirakawa Komine Castle, Japan


登城日:
2007.07.30 & 2015.12.26








【白河小峰城概要】


白河小峰城は福島県白河市にあるお城です。

南北朝時代の1340年(興国元年)に
結城親朝が城を構えたのがはじまりとされているようです。

その後、時代は下り、江戸時代に入った1627年(寛永4年)に
丹羽長重が棚倉藩より、10万石の城主として移封され、
城郭の大修築に着手し、1632年(寛永9年)に完成したそうです。

その後、徳川譜代の大名が移封され、
七家21代の大名が小峰城の城主となったそうです。

1867年(慶応3年)に最後の城主・阿部氏が棚倉藩に
移封された後は、二本松藩主・丹羽氏が
所管するところとなり、戊辰戦争で落城してしまいました。





小峰城は小高い丘の上に本丸が築かれ、
本丸には天守代用の御三階櫓が聳えていました。

本丸の周囲に帯曲輪が取り囲み、その南の平地に
二の丸、三の丸と続く、梯郭式の平山城です。







【白河小峰城へのアクセス】


JR東北本線、白河駅から徒歩10分程です。




【白河小峰城登城記】



この小峰城には2007年7月30日に登城しました。
JR東北本線の白河駅で電車を降り、
駅の北側に出ると、もうそこは小峰城の城郭内です。

土塀に沿って歩いていくと、土塀が途切れ
芝生の広がる二の丸跡が広がっていました。



その先には木の門と櫓台の石垣が現れ
さっそく白河小峰城の遺構を見る事が出来ました。


土塀の途切れたところから二の丸跡に立ち入ります。



二の丸跡の北側は、内堀が残り、
その向かい側に石垣が続いています。

石垣の向こう側は一段高くなっている本丸が続いています。



本丸へは清水門跡からアプローチする事が出来ます。
内堀に土橋が架かり、高石垣がその両側に築かれています。



当時は立派な櫓門が築かれていたのでしょうか?
今は、黒木の冠木門をくぐる様になっています。




この清水門跡を過ぎると、本丸の
周囲を取り囲む帯曲輪に入ります。

清水門を抜けて、目の前に
迫ってくるのが櫻門跡の石垣です。



急な階段が続くこの門を抜けると、
帯曲輪からまっすぐ本丸に行く事が出来ます。

本丸に登ると、復元なった御三階櫓と
御前門が見えてきました。



白漆喰の壁に黒い板張りの凛々しい姿の櫓です。

この御三階櫓は1991年(平成3年)に、発掘調査や
当時の資料を参考に、木造で当時の造り方で
完全復元されています。

平成に入って、各地で江戸時代の天守や櫓が各地で
復元され、「平成の築城ブーム」とも言われていますが
この白河小峰城の復元がそきっかけになっています。


一段高い本丸の多門櫓跡からは
二の丸跡を見渡す事が出来ました。



小雨模様で、しっとりとした眺めです。

そして、こちらは本丸跡の様子です。



当時は本丸御殿が建っていた敷地に
芝生が植えられ整備されていました。

本丸の一角、御三階櫓の近くに「おとめ桜」がありました。



1632年(寛永9年)にお城の大改築をした際、
石垣が何度も崩れたため、人柱を立てることになり、
現場を最初に通りかかった人を人柱に
選ぶ事になったそうです。

不運な事に、藩士・和知平左衛門の娘が
最初に、そこを通りかかってしまいました。

この娘を哀れんで、植えられた桜が
この「おとめ桜」と言う事です。


再び、復元なった御三階櫓と御前門です。



間近に見る御三階櫓や御前門は
さすがに当時のままの復元なので
迫力があります。

御前門は、山田洋二監督の映画・
「武士の一分」のロケでも使われたそうです。

御三階櫓の内部の様子です。



窓の少ない当時の建物の内部は薄暗く
そして、内部はとても質素でした。

柱に戊辰戦争の弾痕がありました。



この御三階櫓用の松を切り出した稲荷山が
戊辰戦争の激戦地だったそうで、
たまたま御三階櫓の柱用に切り出した
部材に弾痕があったそうです。


御三階櫓から眺めた本丸跡(手前右)と
二の丸跡の様子です。



二の丸の先にJR東北本線の白河駅があります。

そして、こちらは小峰城の北側の眺めです。
遠くに見える丘との間に阿武隈川が流れています。



元々、阿武隈川は南側を流れていたのですが、
1632年(寛永9年)に改築した際に
川の流れを付け替えたそうです。
随分、大きな改築工事だったようです。


御三階櫓の内部を見学した後、御前門を抜け、
帯曲輪を通って清水門に出ました。

途中、御前門の脇に百合の花でしょうか、
綺麗な花が咲いていました。



御前門から坂道を下った帯曲輪の様子です。



左手の高石垣は本丸の石垣です。
ここから清水門へ抜け、二の丸跡に出ました

二の丸跡の西側に「白河集古苑」がありました。



戦国時代にこの地を治めていた結城氏の
400年にわたる古文書を集めた資料館と
1823年(文政6年)から戊辰戦争まで
白河藩主だった阿部家の名品館があるようです。

しかし、月曜日のこの日はどうも休館日だったようでした。

案内板を見ると小峰城の北側には
堀が残っているようなので、そちらに行って見ました。
集古苑を出たところの通りです。



城山線マイロード事業として、
江戸時代風の土塀が続いていました。

この道からお堀へと向かいました。
かなり幅の広いお堀が続いています。



こちら側からだと本丸が小高い
丘の上にある事がよく判ります。

御三階櫓もお堀端から眺める事が出来ました。



お堀は御三階櫓を過ぎた辺りで尽き、
そこが搦手門跡でした。

古びた石垣に草木が生い茂る搦手門の枡形です。



よく整備された二の丸や本丸の門の跡とは異なり
こちら側は廃城になって朽ちたお城といった雰囲気です。

搦手門から草木の生い茂る中を歩いていくと
再び立派な石垣が見えてきました。



白河小峰城は至るところに立派な
石垣が築かれ思っていた以上の
規模のお城でした。



"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る