中里城
Ruins of Nakazato Fort, Japan


登城日:
2009. 10. 11







【中里城概要】


中里城は津軽半島の尾根の山の
西側に広がる台地の端にあります。

縄文時代から人々がこの地に暮らし
平安時代には空堀や土塁・柵列などで
守りを固めたムラが築かれていたようです。




このようなムラを古代環濠集落と呼ぶそうです。
室町時代に入るとこの地では安藤氏と南部氏の
抗争が起こり、その際にこのムラを利用し
城館が築かれたと考えられているそうです。




中里城は発掘調査が行われています。
東側に空堀があり、城跡には柵列や土塁、
井戸や竪穴式の住居跡なども確認されています。


【中里城へのアクセス】


津軽鉄道の津軽中里駅から
北に向かい、徒歩約10分程です。

津軽鉄道の乗車記はこちらです。





【中里城登城記】



2009年10月、津軽鉄道の列車で津軽中里に着き、
折り返しの間の1時間弱の間でこの中里城を訪れました。

津軽中里駅から町役場の前をすぎ、
商店街を抜けて、丘陵地に向かいます。

墓地の手前で階段を上り、城跡に向かいました。



階段をのぼり、木々の間を抜けて
行くと中里城がありました。


中里城は1988年(昭和63年)から1997年
(平成9年)にかけて発掘調査が行われ、
中里城跡史跡公園として整備されています。



中里城跡に着くと芝生が広がっていました。
平坦な土地ではなく、西に向かって
勾配が付いています。

その芝生の隅に井戸跡がありました。



直径4m、深さ4m程の手掘りの井戸で、
平安時代に掘られたものだそうです。

芝生になっている平場の東側には
空堀が掘られていたようです。



今では雑草が生い茂っていますが、
深さ1.2〜3.2m、上端部の幅は
3.5〜5.5mもある大規模なものです。

芝生部を歩いていくと、中里城址の
中央部にある土塁と空堀がありました。



城址のほぼ中央部を南北に走っています。
空堀を掘った土を盛って土塁が築かれたそうです。


城址の南側には柵列が復元されています。



中央部の空堀と土塁は近世以降のものですが
この柵列は平安時代に築かれたものです。

こうした柵と空堀で囲って守りを固めざるを
得ない時代が何百年も続いていたと思うと、
その戦いの歴史の長さに驚かされます。

土塁を超えると、住居跡がありました。



この中里城址内には全部で80棟分もの
住居跡が見つかっているそうですが、
同時期に存在してのは10棟程との事です。

そのうち、1棟の住居が復元されていました。



この中里城跡の整備は平安時代の様子を
復元する事に主眼が置かれているようです。



竪穴式住居が復元された様子を眺めていると
城跡というよりも、遺跡という感じでした。

室町時代、安藤氏と南部氏が抗争を繰り広げて
いた時の中里城の様子はどうだったのでしょうか。

中里城跡の西側は、平地が広がっていました。



南側には、思ったよりも大きく
岩木山が見えていました。



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