山形城
Yamagata Castle, Japan


登城日:
2006. 12. 23






山形城は1356年(延文元年)に羽州探題として山形に入った
斯波兼頼公が築城したとされています。
この斯波兼頼の子孫が山形に住む様になり、
最上の姓を名乗ったと言う事です。

その後、戦国時代に第11代の最上義光が版図を広げ、
秀吉の時代には最上氏が出羽最大の勢力を誇るようになり、
山形城は1592年(文禄元年)〜1595年(文禄4年)に拡張されています。

関ヶ原の戦いの際には最上義光は東軍に組みしたため、
上杉景勝配下の直江兼続(米沢城主)と戦い功績をあげます。

この時、上杉軍の本陣からは霞がかかって
山形城の位置がわからなかったそうで、その為
山形城は霞城(かじょう)とも呼ばれています。

江戸時代に入り、最上義光は57万石の大名として、
出羽の地を安堵されるのですが、
1622年に世継ぎ問題で騒動を起こし改易となると
その後は、鳥居氏、保科氏以下目まぐるしく藩主が変わっています。

江戸時代、鳥居忠政の時代の1622年(元和8年)〜
1628年(寛永5年)に、ほぼ現在の形に整えられたそうです。


地図はこちらです→ Mapion


山形城は輪郭式の縄張で、広い三の丸を有していて、
三の丸の敷地面積は江戸城を上回る程だったそうです。

明治以降、その広い三の丸は市街化され、
また本丸を囲んでいたお堀も埋められてしまっていますが
二の丸を取り巻くお堀は完全な形で残されていています。
二の丸はほぼ正方形で、一辺は約500m程です。

現在は国の史跡に指定され、本丸の復元工事もされています。




2006年末にこの山形城を訪れました、

山形城を訪れる前に立ち寄った山寺では
雨に遭ったのですが、その後天気は持ち直して
どんよりと雲ってはいますが、雨は上がっています。

山形駅の西口から線路際を北に歩いて5分程で
二の丸の周囲を囲むお堀端に着きました。

二の丸を取り囲むお堀に突き当たります。



お堀に沿って立派な土塁が築かれています。
お堀に沿って西にあるくと、南追手門が現れます。



石垣で固められた大きな枡形が設けられています。
山形城では、二の丸の東西南北に
一箇所づつ門が設けられており、
どの門もこうした石垣作りの枡形がありました。



この石垣には櫓が築かれ守りを固めていたと思います。

土橋を渡り、二の丸の城郭に入って行きました。
入ってすぐ左手の区画は整備中ということで、
雨でぬかるんだ状態になっています。



時計回りに二の丸の周囲を巡ってみようと
土塁の上にあがって歩き出しました。
この整備中の区画の一部では発掘調査も行われているようで、
建物跡かなにかの遺構が掘り出されている様子が見えました。


そして、西不明門です。



ここも石垣で固められた立派な枡形ですが、
不明門という名称からすると、
普段は開かずの門だったのでしょうか?

西不明門からはお堀端を歩く事にしました。
下の写真は北に伸びる堀の様子です。



かつて、このお堀沿いに、天守代用の
御三階櫓が建っていたようです。

多くの鴨が翼を休めています。



二の丸の東北角からの写真です。



逆光になっていますが、
堀に浮ぶ鴨の姿が浮き出ています。

お堀で釣りをしていたおじさんが、70cmは
あろうかという大きな鯉を釣り上げていました。

この山形城址は、霞城公園として
市民の憩いの場所になっているようです。

二の丸の北面にさしかかると
すぐに北不明門跡です。



ここは枡形が2重の構造になっていて
一番硬い守りになっていたようです。

北不明門の両側に土塁が伸びています。



なだらかな土塁の斜面に所々木が生い茂っています。
散歩道の様な眺めですが、当時は傾斜も急で
土塁の上には土塀が載せられていた事でしょう。

土塁に沿って、山形城の東の縁に達すると
お堀の向こうにJR奥羽本線の線路が見えてきました。



先ほど、山寺から山形に向かう列車で
この区間を通り、車窓からこのお城を眺めました。

JR仙山線の乗車記はこちらです。


土塁の上に土塀が現れると、
復元された二の丸東大手門です。



上の写真は、二の丸からみた櫓門。
そして、下の写真が櫓門をくぐり
枡形からみた多聞櫓と一の門の高麗門です。



高麗門の先には、木橋が架けられ、
当時の様子が見事に復元されています。



1991年(平成3年)に工期45ヶ月、11億円もの
費用をかけて復元されたそうです。
門の両側に多聞櫓が並ぶ堅牢なこの門は
江戸城の門にも匹敵する規模の門ということです。

門を出た辺りは、1767年(明和4年)に入城した
秋元氏が藩主だった時代に御殿が建てられていた所です。
最上義光記念館や山形美術館がありますが、
立ち寄らずに、再び二の丸に戻りました。

二の丸に戻って目に付くのは
最上義光の騎馬像です。



今にも動き出さんばかりの
躍動感溢れる像は、とても印象的でした。

その先には、明治時代に駐屯した
陸軍によって埋められてしまった
本丸の復元現場がありました。



本丸の南東隅にあった一文字門と
内堀やその周囲の枡形が石垣で
当時のままに復元されていました。

こうした復元工事で当時の様子が蘇るのは
本当に頼もしく、嬉しいことです。

そして、二の丸の南東角には
瀟洒な洋風の建物がありました。



これは山形市郷土館です。
元々は1878年(明治11年)に建てられた
県立病院の建物を移築したものだそうです。

復元工事をしている本丸跡や復元された
東大手門の雰囲気とは似合っていないのですが、
江戸時代が終わって僅か11年後に、このような洋館が
建てられた事に、当時の時代の動きの早さを感じました。


これで、山形城の二の丸をぐるっと一周しました。
期待していた以上に当時の面影が残り、
また復元された東大手門の見事さに感激しました。



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