安祥城は愛知県安城市にあります。
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1440年頃、和田親平が築城したといわれていますが、
1470年頃には、このあたりの豪族
松平氏によって攻略されたそうです。
その後、徳川家康の祖父・松平清康の代まで
この安祥城が松平氏の居城となり、
松平清康が居城を岡崎に移した後は
松平氏と尾張の織田氏の間で、
何度も争奪が行われたようです。
この安祥城は自宅からも近いのですが
行った事が無く、秋晴れの休日に行ってきました。
街道脇によく整備された安城市の歴史博物館があり、
安祥城址はその歴史博物館の隣です。
駐車場から城址の南の端を歩いていると
土塁を見かけました。
高さ1mあるかないかの低い土塁で
当時からの遺構かどうかも確かではありません。
安祥城のあるこの辺りは
岡崎平野の真ん中で、この程度の土塁で
敵の攻撃を防げたのか少々疑問です。
城址にあった看板によると、
この安祥城の周囲は深田になっていて、
それが防御線の一部になっていたのでしょう。
城址の南西側は広々と田圃が広がっていて、
当時もこのような光景だったと思われます。
田圃の広がる景色の中、木々の生い茂った
高台に安祥城の二の丸跡が残されています。
周囲に堀を模した池が配置されています。
この二の丸には八幡社が建っていました。
青空に映えた八幡社の本殿。
隣には秋葉山も建っています。
二の丸を北に抜けると本丸です。
二の丸と本丸は夫々独立していて
当時はその間に堀があったようです。
二の丸を下ったところから眺める本丸の様子です。
本丸の周囲も、池を配置し
良く整備されています。
池の周囲には芝生が植えられ、
どこか高原の様にも感じられました。
安祥城の本丸跡には大乗寺が建っています。
山門があたかも城門のように見えます。
当時の本丸にはどんな建物が
建っていたのでしょうか。
城址の碑も山門の近くにあったようですが、
それは見過ごしてしまいました。
本丸跡の東南には隅櫓の跡がありました。
当時は急斜面の土塁で囲まれていたのでしょうが、
今ではそれも崩れてしまっています。
この安祥城は、桶狭間の戦いの後、
家康が岡崎城に入った以降には
廃城になってしまったそうです。
それから400年以上の時が経っていますが、
よく整備された城址公園を歩いていると
当時の様子に思いを馳せる事が出来ました。