足助城
Asuke Castle, Japan


登城日:
2006. 05. 05





足助城高櫓



足助城は、愛知県豊田市の山間にあるお城です。

地図はこちらです→ Mapion


戦国時代に西三河山間部に
勢力を持っていた鈴木氏が
15世紀頃に築城したと言われています。

戦国の世の倣いとでも言うのでしょうか、
この足助城は、松平氏や今川氏そして武田氏と
周辺の勢力に代わる代わる攻め落とされています。

武田信玄が没した後、徳川家康の長男
岡崎三郎信康が足助城を攻め滅ぼし、
鈴木氏が再び城主となったのですが、
家康の関東移封により、この
足助城は廃城になったそうです。


足助城は小高い真弓山に築かれた山城ですが、
城址の直ぐ近くまで車で上ることが出来ました。



これは駐車場近くにある城門です。
足助城は発掘調査に基づいて
整備されているのですが、
この門も史実に基づいて復元された
ものかどうかは判りません。

城門を過ぎ、堀切を抜けると復元された
物見台や台所の建物が見えてきました。



足助城は真弓山の山頂にある本丸の周囲
一段低いところに南の丸、西の丸があり、
その更に低いところに南の丸腰曲輪、
西の丸腰曲輪、北腰曲輪が取り巻いています。

上の写真は、南の丸です。
道順に従い、南の丸腰曲輪→西の丸腰曲輪→
西の丸→南の丸→本丸→北腰曲輪の
順に廻っていこうと思います。


南の丸腰曲輪や西の丸腰曲輪は、
10m四方程度の狭い区画の曲輪で
山の尾根の部分を削って僅かばかりの
平地を確保しているようです。

南の丸腰曲輪から西の丸腰曲輪への道は
山の斜面沿いの雑木林の間の狭い道です。



木々の間からは麓の香嵐渓の清流が見えていました。



頭上には、西の丸の物見台が見えていました。



香嵐渓の様子はこちらです。


整備されているとはいえ、山が深く、
足元にマムシが現れました。
藪に不用意に足を踏み入れないように要注意です。

細い山道を上り一段高い西の丸に向かいました。



幅15m、縦50m程の敷地があり、
当時は2棟以上の建物があったそうです。

2階建ての物見台もあり、
普段は兵士が詰めていたのでしょうか。

西の丸から本丸の下を抜け、
南の丸へと向かいました。

南の丸にも物見台があり、
更に台所として使った建物が
復元されています。



内部に入る事が出来ます。
質素なつくりの板の間に囲炉裏がありました。

この山城で毎日の食料を確保するのも
大変だっただろうなと思います。

南の丸の物見台に上ってみました。
先ほどの台所の建物が真下に、
そして遠くに信州へと続く山並みが見えました。



武田軍は遠く甲府からこの
足助城まで攻めてきていたとは、
その強さを改めて実感します。

徳川家康の本拠地の岡崎からは20kmちょっと。
松平氏の出身地である松平郷(現、豊田市内)とは
10kmちょっとしか離れていません。
家康にとって武田信玄が、如何に脅威と
なっていたかもわかるような気がします。

この南の丸の次はいよいよ本丸です。
標高301mの高さにある本丸には
高櫓と長屋が復元されています。



高櫓は2階建てで、一回は城主の居住空間と
軍議の為の土間がありました。
2階は、来客を接待するところだったようです。

2階からも足助の町も見下ろすことが出来ました。
見張り台の役割も果たしていたことでしょう。



この写真は高櫓から眺めた足助の街です。



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