岐阜城
Gifu Castle, Japan
登城日:
2005. 09. 18
岐阜城 模擬天守閣
岐阜城は斉藤道三や織田信長の居城だったお城です。
標高328.9mの金華山(別名 稲葉山)の山頂にある山城です。
岐阜城の歴史は古く、1201年(建仁元年)には
砦が築かれていたといわれていたそうです。
その後年代が下り、1537年(天文7年)に
美濃の蝮と言われた斉藤道三が、
このお城(当時は稲葉山城)を
守護職の土岐氏から奪い取り、
城下町の整備を進めたそうです。
1567年(永禄10年)には、織田信長が
斉藤道三の孫・斉藤竜興を滅ぼし、
この岐阜城と改名し、「天下布武」を旗印に、
全国制覇の拠点としたのがこの岐阜城でした。
この岐阜城へは2005年の9月半ばに行って来ました。
JR岐阜駅前からバスに乗り、岐阜公園で下車。
岐阜は信長が楽市楽座を施行し賑わった街ですが、
この日は、どことなく元気が無さそうでした。
岐阜を通る高山本線の様子はこちらです。
金華山の麓の岐阜公園からは、
山頂の岐阜城が小さく見えていました。
もともとは13世紀に築かれた為か、
典型的な山城で、いかにも難攻不落
と言った感じがします。
この岐阜公園の一角に宮殿跡
(信長館跡)がありました。
稲葉山の山懐に門が残るのみですが、
往時は、この奥に4階建ての
金塗りの御殿が建てられていたそうです。
門の前には、羽織を片肌脱いだ
騎乗の信長像がありました。
時代の先端を駆け抜け、天下人になった
信長の様子をよく表した像だと思いました。
宮殿跡は、発掘調査が行われたのか、
石垣に囲まれた一角だったのですが、
思ったよりは狭い区画でした。
さていよいよ岐阜城の天守閣へ向います。
金華山山頂までは約一時間の山登りか、
ロープウェーで行く事が出来ます。
岐阜の街を眼下に眺めながら
ロープウェーで一気に上って行きます。
山頂駅に降り立ち、馬の背の
細い道を登っていきます。
これは一の門と云うそうですが、
観光用に作られたものということです。
山の上の狭い土地で、
城郭がどのように築かれていたのか、
それを信長がどのように攻略したのか、
山道を登りながら想像を巡らせました。
途中、秀吉の「瓢箪の馬印」
発祥の地とされる岩がありました。
信長の斉藤竜興攻略の際、
僅かな手勢で攻め上がった秀吉が、
この付近にあった建物に火を放った時、
この岩に乗って腰につけていた瓢箪を振り回し、
それを味方に知らせたそうです。
しばらく歩いていくといよいよ
天守閣が間近に見えてきました。
この天守閣は1956年(昭和31年)に
建てられた模擬天守閣です。
信長が建てた天守閣は、関が原の戦いで
東軍に攻められ廃城となった後、
岐阜市内の加納城に移築されたそうです。
この伝承に基づき、加納城の古絵図を参考に
建てられたのが今の天守閣だそうです。
この日は初秋のいい天気で、お城の上空に
澄み渡るような青空が広がっていました。
そして天守閣からの眺めです。
天守閣からは長良川の流れる
岐阜の街が一望出来ました。
斉藤道三や織田信長もこうして
我が城下町を眺めたことでしょう。
西には遠く伊吹山が霞んで見えています。
伊吹山の向こうは琵琶湖が横たわり、
その向こうは京都の街・・・
きっと信長は何度もここから西の景色を眺め
「天下布武」の夢を抱いていたことでしょう。
下の写真は、長良川の上流方面です。
初秋とはいえ強い日差しで、街並みや
近くの山々が輝いているようでした。
逆光ではっきりとは見えなかったのですが、
南の方角は、遠く名古屋の高層ビルも見えるそうです。
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