挙母城は、愛知県豊田市にあるお城です。
今では豊田市という名前がすっかり定着していますが、
以前の市町村名は挙母(ころも)市でした。
この挙母城は、豊田市の中心部のすぐ西南にある
小高い丘にあります。
地図はこちらです→
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この挙母城が築城されたのは1782年(天明2年)のことです。
1615年(元和元年)に江戸幕府が一国一城令を出した
以降に築城された珍しいお城の一つです。
これは、城持大名の内藤政苗(まさみつ)が
城の無い挙母藩に移封となった際に、
幕府に築城を願いいれ、認められた為だそうです。
元々はこの東よりの平地に築城を始めたのですが、
近くを流れる矢作川の氾濫で、築城を断念し、
この地にお城を築いたそうです。
内藤氏が挙母に転封になったのは、
1749年(寛延2年)の事ですので、
33年もの年月が経っています。
挙母城址は、今では豊田市美術館が建っています。
美術館の駐車場に車を停め、城址に向かいました。
城址公園の入り口に復興された隅櫓が建っていました。
少し細長のこの隅櫓は、1980年に建てられています。
この日は月曜日で、美術館は閉館しています。
隅櫓も周囲は整備工事中の様で、
近づく事は出来ませんでした。
後で知ったのですが、隅櫓の石垣は
当時からの現存のものだそうです。
城址公園に他の遺構はないかと歩き出しました。
隅櫓の奥に、ひっそりと書院が建っていました。
「又日亭」というこの建物は、もともとは
矢作川の東側にあった尾張藩士渡辺家の領地、
寺部領の陣屋にあった書院だったそうです。
このあたりは、尾張藩の飛び地に伊保藩領や
大給(奥殿)藩領が入り組みさらに南には岡崎藩があり、
挙母藩の領地は限られていたようです。
当時の挙母藩と、市町村合併で岐阜県との県境まで
市域を拡大している今の豊田市とは隔世の感があります。
この「又日亭」から工事現場を見ることが出来ました。
隅櫓に続く石垣の跡を復元しているようです。
石垣を組みところはなかなか見られるものではないので、
しばらく見学していましたが、石がしっかり座るように、
石を削り直しながら、積み重ねていくのは
時間のかかる作業のようです。
重機のない当時、有事の為の築城でしたので、
お城の縄張りは短期間で行われることが多かったようですが、
きっとかなり多くの人が動員されたのではないかと思います。
城址公園の脇の路地で、江戸時代から
あったという常夜灯を見つけました。
当時、お城のすぐ近くのこの辺りは、
侍屋敷があったと思うのですが、
この常夜灯を見て、畑作業から家に戻る
農家の人たちの情景を思い浮かべていました。
そんな風景が似合いそうな小さな挙母城址でした。