竹谷城
Ruins of Takenoya Castle, Japan

登城日:
2011. 04. 17

【竹谷城 概要】

竹谷城は、松平氏三代目・松平信光の長男・守家が
1547年(天文17年)に築いたとされています。

松平信光は、1404年(応永11年)頃に生まれ、
1488年(長享2年)に亡くなったとされていますので、
少々年代が合わないように思います。

松平信光が居城とした岩津城の登城記はこちらです。
松平信光が建立した信光明寺の様子は こちらです。

近くの尺地神社の由緒には、"(前略) 天正年間に
松平左亮源親家が竹谷城築城に辰巳方位の守護神
として (後略)"とあり、年代も築城主も異なっています。

松平守家を祖とする竹谷松平氏は、松平分家の筆頭で
桶狭間の戦い以降は家康に従い、その末裔は
江戸時代に蒲郡の地で陣屋を構えています。

竹谷城は、蒲郡市の西側にあります。
蒲郡を包み込むように連なる遠望峰山の麓の
丘陵地が丁度、尽きたあたりに位置しています。

【竹谷城へのアクセス】

JR東海道本線三河塩津駅から東北に徒歩約15分程です。
尺地神社の北100m程のところに位置しています。

【竹谷城登城記】

2011年4月17日、この日はいくつか蒲郡の古城を
訪れましたが、まずはこの竹谷城を訪れました。

竹谷城の南にある尺地神社です。


撮影: 2011年4月

1184年(元暦元年)に源範頼によって創建されました。
その後、時代が下った戦国時代には竹谷城の
守護神として祀られたようです。

尺地神社の北、100m程のところに竹谷城があります。
集落に囲まれた竹の生い茂る小高い丘が城址です。


撮影: 2011年4月

竹谷城への入り口が判り難かったのですが、
東側の住宅の庭先の小路がその入り口でした。


撮影: 2011年4月

他人の家の庭を通るようで、
この道を通るのは少々気が引けました。


撮影: 2011年4月

民家を抜けた先に竹谷城の案内板があり、
ホッとしながら城址に向かいました。

この先の竹藪に差し掛かると、
その手前に急斜面の土塁がありました。


撮影: 2011年4月

竹藪の中はトンネルの中を歩いているような雰囲気です。
土塁を超える僅かな窪みがあり虎口のようです。


撮影: 2011年4月

この竹藪を抜けると視界が開け果樹園がありました。


撮影: 2011年4月

南北100m、東西50mのこの曲輪が竹谷城の主郭でした。
東南角には城址碑も立っていました。


撮影: 2011年4月

主郭の南側には横堀がありました。
南側に第二の郭があったようです。

主郭を訪れた後に、竹谷城の西側に回ってみました。


撮影: 2011年4月

こちらにはマンションが建っていますが、
その駐車場に沿って土塁がありました。

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