吉田城は愛知県豊橋市にあるお城です。
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築城は1505年、このあたりの豪族、
牧野氏によって築かれたそうです。
その後、今川氏と三河の松平氏との間の
勢力争いの前線基地となり、
何度も争奪が行われたようです。
桶狭間の戦いで今川氏の勢力が衰えると
徳川家康によって攻略され、
重臣の酒井忠次を城代として配置しました。
秀吉によって家康が関東へ移封されると、
池田輝政が吉田城主となり、輝政は
城下町の整備を行ったようです。
ちなみに、吉田城主だった池田輝政は、
その後播磨へ移封され姫路城の城主となっています。
この吉田城には2006年4月9日に行ってきました。
豊橋駅前から路面電車に乗り、
市役所前の停留所が吉田城の最寄です。
立派な国道一号線から横道に入ると
吉田城の土塁が見えてきます。
土塁の内側が三の丸です。
三の丸の内部は公園として整備されていて
三の丸と二の丸の間の堀や土塁は残っていないようです。
その昔、二の丸だったところには
桜の木が植えられて、丁度桜が見頃でした。
満開の桜を眺めながら公園を歩くと、
今度は石垣が現れました。
本丸の周囲を廻る土塁の一部に石垣が積まれ、
そこに門が建っていたようです。
上の写真は、冠木門跡の石垣です。
冠木門跡を抜けると、本丸跡に入ります。
吉田城の本丸は、目算ですが80m四方程度の広さがあり、
その周囲を土塁で囲まれています。
当時は、四つの隅に櫓が建っていたのですが、
今は西北の隅に、鉄櫓が模擬復元されています。
以前、東北の隅にあった入道櫓を模した建物という事です。
何故、鉄櫓の建物を再建しなかったのか、
少々疑問に思うところです。
この鉄櫓の北側は豊川に面しています。
川の堤防へと一段下がったところから
見上げる鉄櫓です。
この吉田城の縄張りは、いわば背水の陣となっているので、
古写真を見ると、本丸と豊川の間の一段下がったところに
多聞櫓や三重櫓が建っていて、守りを固めていたようです。
普段鉄櫓は中に入ることが出来ないのですが、
この日は特別に入館出来ました。
地元の方がボランティアでお城の解説をしていました。
櫓からは豊川の流れが見えました。
緩やかな豊川の流れはとてものどかなでした。
路面電車を降りて吉田城に着いた時には、
ビルの建ち並ぶ市街地を抜けてきたので、
お城のこんなすぐ近くに川が流れているとは思えませんでした。