武田軍の侵攻にも耐えていた泉頭城ですが、
1590年(天正18年)の秀吉の小田原征伐の際には
後北条氏はこの泉頭城を撤退し、韮山城と
山中城に引き上げたそうです。
この柿田川公園では、富士山の伏流水が
湧き出る清流・柿田川の水源にあたります。
この柿田川の水源の東側の公園部分一帯が
泉頭城の城郭になっていたようです。
綺麗に整備されていて、土塁や堀など
当時の様子は残っていませんでした。
芝生広場の南側には貴船神社がありました。
この神社も当時のものかと思いながら
訪れましたが、よく判りませんでした。
貴船神社から湧水広場へと向かいます。
所々石垣も見えますが、これも
当時のものではないと思います。
この先、谷底にベンチが置いてある
空間があり、ここが湧水広場です。
当時は、本曲輪と東曲輪との間の三ノ洞が
あったところで、堀の役割を果たしていたようです。
湧水広場の先には柿田川を
眺められるスポットがありました。
先ほどの湧水広場から散策路が続いています。
こんもりとした森の中に路が続いていますが
この辺りは南曲輪があった辺りです。
散策路から眺める限り、ここにも
当時の泉頭城の痕跡はないようでした。
この散策路から一段高い所に
ある「泉の館」に向かいました。
古い土蔵の建物があります。
ここは当時、東曲輪だったようです。
泉頭城は、家康の死去後、田畑となっていたようで
散策路から眺めた限り、当時の痕跡は残っていませんでした。
ここは泉頭城址というよりも、柿田川の水源の
湧水とその清流の眺めが素晴らしいところで、
そちらを愉しんだ方がいいように思います。