武田軍の騎馬隊が、織田・徳川連合軍と戦い
今の行政区では新城市に含まれる、東三河東部の
戦国時代末期の設楽氏領主・設楽貞通
その後、1590年(天正18年)家康の江戸移封に伴い、
JR飯田線三河東郷駅から
2011年11月、設楽原古戦場を散策したのちに
連吾川沿いの小さな谷を南に下ると、
この景色を眺めながら更に南に進み、
空き地の脇に川路城とお鷹井戸の案内板がありました。
しかし一方で、設楽氏は長篠・設楽原の戦いの後、
空き地の片隅に「お鷹井戸」がありました。
設楽氏のお殿様が、鷹狩用の鷹を育成する際に
お鷹井戸からの眺めです。
川路城址の碑は、ここからもう少し南に行った
Ruins of kawaji Castle, Japan
登城日:
2011. 11. 13
【川路城 概要】
大敗した設楽原古戦場の近くに川路城があります。
設楽原一体は鎌倉時代から設楽
川路城を本拠地にしていたそうです。
早くから家康に付き、設楽原の戦いの後は
設楽の地は長篠城主の奥平氏のものとなり、
設楽氏は駿河・遠江両国に移ります。
家督を継いだ設楽貞清は武蔵国札羽に移封となり、
川路城は廃城になったと伝わります。
西に徒歩約10分程です。
川路城を目指しました。
広々とした田園風景が広がりました。
撮影: 2011年11月
JR飯田線の線路を渡り、旧国道151号線を
西に少し行った集落に川路城跡があります。
撮影: 2011年11月
案内板には、設楽氏の居城だった川路城は
590年(天正18年)の家康の江戸移封に伴って
廃城になったとありました。
領地が駿河・遠江に移ったそうですので、
設楽氏がこの地を離れ、奥平氏が治めるように
なった後も川路城は残されていたようです。
撮影: 2011年11月
水温変化の少ない井戸の水を使ったそうで、
この井戸はその鷹の飼育用の井戸だったそうです。
撮影: 2011年11月
所にあるようですが、このお鷹井戸を眺めて
満足して帰路に就いてしまいました。