増島城
Masujima Castle, Japan


登城日:
2010. 2. 11







【増島城概要】


増島城は高山本線の飛騨古川駅から
ほど近い所にあるお城です。

山深い飛騨では唯一の平城と言われています。
宮川と荒城川に囲まれたところに位置しています。




1558年(永禄元年)に飛騨統一を果たした
姉小路氏は本能寺の変が生じると
秀吉に敵対しますが、秀吉の命を受けた
金森長近によって平定されてしまいます。

金森長近は飛騨を領国として、高山城を
築き本城とし支城として増島城を築きました。


金森長近は養子の金森可重を増島城の城主とし
可重が1608年(慶長12年)に高山城主となると
その長子・金森重近が増島城主となります。

増島城は1615年(元和元年)の一国一城令で
古川旅館と称されることになりましたが
1692年(元禄8年)に廃城になったそうです。



【増島城へのアクセス】


JR高山本線飛騨古川駅から徒歩約5分程です。


JR高山本線を走る特急「ワイドビューひだ」の乗車記はこちらです。





【増島城登城記】



飛騨古川駅から左に向かい、線路沿いに歩くと
水掘が現れ、その向こうの石垣の上に
増島天満神社の社が見えて来ました。



ここが増島城の本丸跡です。
神社の石垣は当時は櫓台でした。



水堀の向こうに聳える石垣は当時を彷彿とさせてくれます。
しかし、増島城の跡を今にとどめるのは
この一角だけのようです。

増島城の本丸跡は神社を取り囲んでいる
古川小学校の敷地になっているそうです。



古川小学校の校庭です。
一面の雪に覆われていますが、当時は
ここに御殿や蔵が建っていた事でしょう。


本丸櫓台の上に建つ増島天満神社には
南側からアクセスする事が出来ました。



櫓台の規模は大きく、多聞櫓でも
建っていたかと思います。

雪の積もる階段を注意深く上って行きました。
櫓台の上の雪は更に深く、
神殿まで辿り着く事は出来ませんでした。




深い雪で十分な探索も出来ませんでしたが
櫓台から下りて、名残の水掘を再び眺めてみました。



この水掘や櫓台からは、支城とはいえ
増島城はかなりの規模で築かれていたと
想像させられます。

増島城の西側にある飛騨吉城特別支援学校です。



ここも増島城の城内でした。


増島城の建物は廃城になると取り壊され
御殿と山門は近くのお寺に移築されています。

そのうち、円光寺と林昌寺に
移築門が残っていると伝わります。



林昌寺の移築門は見逃してしまいましたが
円光寺を訪れ移築門を確認して来ました。

飛騨古川の散策記はこちらです。



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