鳴海城
Narumi Castle, Japan


登城日:
2009. 08. 15







【鳴海城概要】


鳴海城は、名古屋市南部にあるお城です。
名古屋の東部にある丘陵地帯が天白川に向かい
伸びている先端に位置しています。

1394年から1427年の応永年間に足利義満の
配下であった安原宗範によって築かれています。





戦国時代も後半に差し掛かった16世紀半ばには
織田信秀が支配していましたが、信秀が亡くなると
城主・山口教継が今川義元に寝返り、
桶狭間の戦いが起きた1560年(永禄3年)時点では
岡部元信が城代を務めていました。


鳴海城は熱田神宮まで6km程の距離にあります。

尾張を支配しきっていない信長にとっては、
本拠地の奥深くに置かれた今川の拠点は
喉元に突き刺さった棘、以上の存在だったと思います。

信長は、桶狭間の戦いの前年の1559年(永禄2年)に
この鳴海城を取り囲む様に、3つの砦を築き、
今川方の連絡を絶つ事を狙っていました。



1560年(永禄3年)に興った桶狭間の戦いは、
今川義元上洛の途中での戦とされていましたが
近年の研究では、織田氏攻略の拠点とした、
この鳴海城や南の大高城周辺での
織田勢排除が目的だったとされています。



【鳴海城へのアクセス】


名古屋鉄道本線・鳴海駅から徒歩5分程です。




【鳴海城登城記】



鳴海城へは笠寺観音から旧東海道を下り、
途中で県道36号線を西に曲がって
北側からアプローチしました。

笠寺観音の様子はこちらです。

花井の交差点で右に曲がり、坂道を上って
丘陵地にある住宅地に入りこみました。



どこにでもあるような小公園が
鳴海城址でした。

ここを訪れたのは真夏の昼下がり。
夏の太陽が照りつけ、焼ける様な暑さに
公園には子供の姿も見かけませんでした。



この鳴海城跡公園からは、
南側の視界が開けていました。

南側は崖になっていて、住宅やビルが
建ち並んだ平地が広がっています。

高架の名古屋鉄道本線を走る
赤い電車が見えていました。



当時、鳴海城の南側には根古屋という地名があり、
この南側には、城下町が広がっていたと思います。

遠くには、家々の間に丘陵地が広がっていますが、
そのあたりに、もう一つの今川氏の拠点だった
大高城があります。

今からは想像も出来ませんが、当時は
鳴海城と大高城の間には海が広がっていました。

鳴海城と同じように、大高城にも信長は
取り付くように丸根砦と鷲津砦を築き、
鳴海城との間の連絡は途絶えていたようです。

この事が、桶狭間の戦いの誘因に
なっていたと考えられています。

桶狭間古戦場の様子はこちらです。


鳴海城跡公園の西側には、農地を隔てて
出城だったと思わせるような杜がありました。



鳴海城の大きさは、『鳴海誌』に
「東西75間半、南北34間」と記されているので、
この数値が正しいとすると東西約136m、
南北60m程の小さなお城だったようです。


桶狭間の戦いで、今川義元の首が討たれると
今川軍は総崩れとなったそうですが、
鳴海城の城主・岡部元信は信長勢相手に奮戦し、
今川義元の首と引き換えに、鳴海城を開城し
府中へ戻ったそうです。

岡部元信は戻る途中、現在の愛知県西尾市で
今川義元の首を葬ったとも伝わります。
その場所の様子は、こちらです。



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