岡崎平野の中央部を流れる矢作川。
その「矢作」の名前の由来は日本書紀や古事記に
記されている日本武尊に所以があるそうです。
その伝説の言われとなる神社が
国道1号線の矢作橋の右岸の袂にある
矢作神社です。
矢作神社の案内板によると、
矢作の地名は次の逸話が基になっているようです。
日本武尊が東征の際、この地の住民らが
賊に苦しめられている事を訴えます。
日本武尊は矢作部に竹で矢を作るように命じますが、
矢作部は川の中州に生えている竹を取りに行けません。
すると、一匹の蟻が人の姿となり、中州の竹を切り取り
その竹を用いて矢を作ったそうです。
日本武尊は神社に祈り、賊を滅ぼし、
それ以降、この神社が矢作神社と呼ばれたそうです。
その日本武尊の像が、神社の境内の
矢作川の堤防の土手のところに
建っていました。
木々の間に建っていて、知らずに近づくと
驚いてしまいそうな像です。
この日本武尊の像の先に
矢作神社の拝殿が建っていました。
祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)だそうです。
日本武尊が東征したのは4世紀中頃とされているようなので
矢作神社は1700年近い歴史がある事になります。
1083年(永保3年)には、陸奥守に任命された源義家が
奥州に向かった際に、日本武尊の故事にならい
矢作神社に参拝されたそうです。
拝殿の左側に、石の柵に囲われた竹がありました。
これが矢を作った矢竹でしょう。
この竹の根元に、石が置かれています。
この石は「うなり石」と呼ばれ、1335年(建武2年)に
新田義貞が足利尊氏の弟の足利直義と
高師泰の軍と戦った際に、この石がうなりだし、
それを神の加護として戦い、勝利を収めたそうです。
素戔嗚尊を祭神としているせいか
古くから戦にゆかりのある神社だったようです。