宇陀松山陣屋
Matsuyama Jinya, Japan

登城日:
2011.8.18

【宇陀松山陣屋概要】

宇陀松山藩は、伊勢長島の領主だった福島高晴が、
関ヶ原の功績で1600年(慶長5年)に3万石で立藩しています。
福島高晴は、大坂の陣で裏切りがあったとの理由で改易され、
その後に織田信長の次男・信勝が藩主になっています。

宇陀松山陣屋は、大坂の陣の後の1615年
(元和元年)に、織田信勝が築いた陣屋です。

織田信勝は、春日神社の北側に御上屋敷を設けたそうです。

織田氏は、四代目・信武の際に藩に混乱が生じ、
五代目・信休の代の1695年(元禄8年)に
丹波柏原に移封されています。

【宇陀松山陣屋へのアクセス】

宇陀松山陣屋跡は、近鉄大阪線の榛原駅から
大宇陀行の奈良交通バスで西山バス停下車。
所要時間15分、料金は440円です。

【宇陀松山陣屋訪問記】

近鉄榛原駅から大宇陀行のバスに乗り、
大宇陀の集落の中心に近い西山で下車し、
東に向かい、宇陀川を渡ります。

橋を渡って左手に古い門が建っていました。
宇陀松山城西口門です。


撮影: 2011年8月

案内版には江戸時代初期のものとあるので、
1600年(慶長5年)にこの地に移封された
福島高晴が築いたものでしょうか。


撮影: 2011年8月

西口門は、現在高麗門のみ残っていますが、
門は桝形門型式になっているので、当時は
櫓門もあったのでしょうか。

また、福島高晴が改易された後、織田信勝が
宇陀松山藩の藩主となり、宇陀松山陣屋を
築きますが、その際も、この西口門は
陣屋門として機能していたと思われます。

西口門を抜けると、集落が広がっています。
当時は町人の暮らしていたようです。

大宇陀の町並みの様子は こちら です。

この集落を抜けて東に向かうと、東側の丘に
建つ天理教の教会への上り道がありました。


撮影: 2011年8月

この天理教の教会が、宇陀松山陣屋の
上屋敷跡に建っています。


撮影: 2011年8月

当時の遺構は破壊されていますが、立派な教会の建物が
殿さまの居た陣屋の建物ような威圧感を与えています。

上屋敷跡からは、大宇陀の街並みが一望に見えます。


撮影: 2011年8月

織田信勝も、当時このように
領地を眺めていた事でしょう。

宇陀松山城西口門から上屋敷跡に向かう道の一本
南側の通りは、春日神社への参道になっています。


撮影: 2011年8月

この通りが宇陀松山城への大手道にもなっていたようです。

集落が尽き、丘陵地に差し掛かったところで
春日神社への入り口となる石段がありました。


撮影: 2011年8月

この石段が、春日門跡になります。
石段の両脇の石垣が当時の櫓台になります。

この春日門も、江戸時代初期の福島高晴の
時代に築かれたようですが、織田氏時代にも
引き続いて、存在していたようです。

春日門跡からしばらく坂道を上って行くと、
春日神社への入り口があります。


撮影: 2011年8月

この手水舎の脇の石垣に、ポッかりと穴が開いています。
宇陀松山城からの抜け穴と言われています。


撮影: 2011年8月

宇陀松山城の登城記は こちら です。

石段を上ったところの春日神社の様子です。


撮影: 2011年8月

1405年(応永12年)に足利義満の
寄進によって創建されたそうです。
思わぬ立派な社殿でした。