丸亀城
Marugame Castle, Japan

登城日:
2011.6.5

【丸亀城 概要】

丸亀城は1597年(慶長2年)から生駒氏が
西讃岐の支配の為に築城を開始したお城です。

生駒氏は讃岐一国を治めていた為、1615年
(慶長20年)の一国一城令で、廃城になっています。

その後、生駒氏は1640年(寛永17年)に改易となり、
西讃岐を治める事になった山崎家治が生駒氏の
城跡に築城を行ったお城です。

標高66mの亀山の上に築かれ、三段の石垣の上の山頂部の
本丸には現存天守を含め12の櫓が建ち、山の麓には
藩主の居館や大手門、庭園などがありました。


丸亀城は現存12天守の一つとして知られていますが、
高さ20mを越える高石垣のお城としても知られ、
三段の石垣の上に聳える天守は、JR予讃線の
列車からも良く見えます。

この丸亀城には、2011年6月に登城しています。
その時の様子を紹介します。

【丸亀城へのアクセス】

JR丸亀駅から南に徒歩15分程です。

丸亀駅のあるJR予讃線を走る
特急「しおかぜ」の乗車記はこちらです。

【丸亀城登城記】

三ノ丸
Nov. 22, '19
天守登城から搦手へ
NEW ! Dec. 02, '19

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大手二の門から大手一の門

2011年6月、それまで何度か予讃線の車窓から
眺めていた丸亀城に初めて登城する事になりました。

丸亀駅から南に歩き、15分程すると
丸亀城のお堀端に辿り着きました。


撮影: 2011年6月

内堀は広く、丸亀城の堅牢な様子を実感します。
お堀端からは現存天守が石垣の上に聳えていました。


撮影: 2011年6月

丸亀城の現存天守と内堀の様子です。


撮影: 2011年6月

石垣には白壁が残され、当時の雰囲気を伝えています。
丸亀藩の石高は5万石だったのですが、その石高よりも
遥かに立派で規模の大きな城郭と思います。

城郭の北側の土橋から城内に入りました。
土橋を渡った先の大手門の向こうに聳える
天守の構図はとても絵になります。


撮影: 2011年6月

山崎氏が築城した際の丸亀城は、南側に大手門が
あったそうですが、1670年(寛文10年)に
城郭の北側に移動させたそうです。

大手門は桝形型式で、土橋を渡った先にある
高麗門型式の大手二の門と、桝形の奥の櫓門の
大手一の門の二つの門で護られています。


撮影: 2011年6月

この二つの門は現存で、重要文化財に指定されています。


撮影: 2011年6月

大手一の門の内部は公開されていました。
大阪の陣から50年以上経って建てられて
いますが、武骨な造りになっていました。


撮影: 2011年6月

当時は、ここで太鼓を鳴らし時を告げていたので
この大手一の門は太鼓門とも呼ばれていたそうです。

大手一の門を出て東に向かうと
大手門桝形を一望する事が出来ました。


撮影: 2011年6月

そしてその先にはうるし林が広がっていました。


撮影: 2011年6月

そして、ここからも天守を仰ぎ見る事が出来ました。
高石垣の上に建つ丸亀城の現存天守は
まさにシンボルになっています。


撮影: 2011年6月

うるし林の先から内堀を眺めた様子です。
丸亀城の城郭の周囲に巡らされた内堀は
一辺が500m程の四角形になっています。


撮影: 2011年6月

大手門一の門に戻り、更に西に
向かうと御殿表門があります。


撮影: 2011年6月

藩主居館の玄関先にあった門です。


撮影: 2011年6月

門の脇には番所長屋も残っていました。
この長屋は丸亀城の現存建造物の中で最も古いそうです。


撮影: 2011年6月

御殿表門の先には、御殿跡に
一面の芝生が広がっていました。

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三ノ丸

御殿表門から大手門に戻り、
いよいよ山頂の本丸を目指しました。


撮影: 2011年6月

見返り坂は三の丸高石垣の下を登る
坂道で、当時の大手道だったようです。

長い直線の坂道を上り、三ノ丸北側の
高石垣を北東角から眺めた様子です。


撮影: 2011年6月

この三ノ丸の石垣は高さが22mあります。
一段の高さとしては、大阪城や伊賀上野城が
これを上回る高さですが、丸亀城の石垣は、
本丸までの三段の石垣の高さの総計が40mあり、
この規模が日本一とされています。

この近くに高浜虚子の句碑がありました。


撮影: 2011年6月

"稲むしろあり 飯の山あり 昔 いま

この句は、1944年(昭和24年)に丸亀を訪れた虚子が、
丸亀城から讃岐富士を眺めて読んだ句だそうです。

高浜虚子の句碑からは南に向きを変え、
二つの石垣の間の急坂を上りました。


撮影: 2011年6月

上り坂の左手にある石垣は三ノ丸東石垣というそうで、
高台にある三ノ丸から櫓台が細く突き出ています。
この石垣は膨らみや石材の割れが生じ、崩壊の
危険性があったという事で、1997年(平成9年)
から5年間に亘って修復されていました。

この三ノ丸東石垣の先端の櫓台からの眺めです。


撮影: 2011年6月

北側の丸亀の市街と、南東の讃岐富士が良く見えました。
この讃岐富士の景色が高山虚子が眺めた景色でしょうか。

左手には二ノ丸の櫓台の高石垣が見えていました。


撮影: 2011年6月

三ノ丸東石垣から三ノ丸に出ました。
三ノ丸は山頂部の本丸と二ノ丸をぐるりと
取り囲んでいますが、東側の敷地が最も広く、
ここには番所などの建物があったのでは、と思います。


撮影: 2011年6月

三ノ丸の東南角には月見櫓の櫓台がありました。
丸亀城の東600m程の所を流れる土器川が高松藩
との境で、その見張りの役割があったそうです。

この後、三ノ丸を反時計回りに一周してみました。

先ほどの三ノ丸東石垣です。
上部が修復され色が変わっているのが良くわかります。


撮影: 2011年6月

三ノ丸の北側は二ノ丸の高石垣の下に位置し
帯曲輪の様な細い通路上になっていました。


撮影: 2011年6月

二ノ丸北東角の櫓台とそれに続く高石垣です。
ここからも丸亀の市街地が良く見えています。


撮影: 2011年6月

この先で、立派な二ノ丸長崎櫓の櫓台を過ぎると、
丸亀城の天守を見上げる位置に出ました。


撮影: 2011年6月

天守のある本丸の石垣の下には
草生した急坂が続いていました。
この先が二ノ丸搦手になります。

本丸の北西隅の櫓台の下からは、
御殿表門と御殿跡の芝生広場が見えています。


撮影: 2011年6月

この先で本丸北西隅の立派な櫓台が見えてきます。
この櫓台の下に、吉井勇の歌碑がありました。


撮影: 2011年6月

人麿の歌かしこしとおもひつゝ
海のかなたの沙弥島をみる

吉井勇は1886年に生まれ、明星や
スバルなどで歌を発表していたようです。
1933年(昭和8年)から1937年(昭和12年)に
高知で暮らしたそうなので、その際に
丸亀城に訪れていたのでしょうか。

その櫓台をぐるりと回りこむように
丸亀城の西側の縁を南に進みました。


撮影: 2011年6月

丸亀城の西側も高石垣が続いています。
三ノ丸の高石垣を見下ろし、その右手
には讃岐平野が広がっていました。

丸亀城の西側から南側へと進みます。
本丸南西隅の櫓台の下に、三ノ丸井戸があります。


撮影: 2011年6月

今は空井戸になっているそうですが、
深さは56メートルもあり、城外への抜け穴に
なっているとも言われているようです。

三ノ丸の南側の中央部付近には
搦手へと続く門構えがありました。


撮影: 2011年6月

この先に延寿閣別館がありました。


撮影: 2011年6月

この建物は江戸・麻布にあった京極氏の
江戸屋敷の一部を移築したものだそうです。

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二ノ丸から本丸

二ノ丸と本丸を取り囲んでいる三ノ丸をぐるりと
一周した後に、二ノ丸へと向かいました。


撮影: 2011年6月

三ノ丸の東側に二ノ丸へと続く正門があります。
立派な桝形門に急坂の登城道が配されています。

二ノ丸に登って眺める讃岐富士です。
下に三ノ丸月見櫓台が見えています。


撮影: 2011年6月

二ノ丸東南隅の櫓台から二ノ丸の
正門へと伸びる石垣の様子です。
ここに当時は多聞櫓があったと思います。


撮影: 2011年6月

二ノ丸の井戸が残っていました。
この井戸は深さが65メートルあり、
日本で最も深い井戸と言われています。


撮影: 2011年6月

二ノ丸の北側の端を西に向かいます。

二ノ丸の西側の一段高い位置に本丸があり、
そこに現存天守が聳えていました。


撮影: 2011年6月

そして、本丸天守を仰ぎ見る長崎櫓跡の櫓台からは
天守のすぐ下にある二ノ丸搦手門の様子が
手に取るように見る事が出来ました。

こうしてみると、天守直下にある二ノ丸搦手門は、
多くの櫓に囲まれ、極めて守りが堅い事が分かります。

二ノ丸の曲輪の様子です。


撮影: 2011年6月

二ノ丸の4つの隅に櫓台が残っていますが、
かつて御殿があったと思われる曲輪の
中央には何も残っていません。

二ノ丸の西側に、本丸へと続く門がありました。


撮影: 2011年6月

二ノ丸から本丸へも、急な坂道になっています。

坂道を上り本丸に入りました。
本丸の南東と南西の隅櫓台の様子です。


撮影: 2011年6月

南西櫓台からは本丸の西側の縁に沿って
櫓台が続いていました。


撮影: 2011年6月

この右手に丸亀城の現存天守が聳えています。
麓や三ノ丸、二ノ丸から高石垣の上に仰ぎ見る
天守は立派な姿に見えていましたが、本丸で
眺める天守はこじんまりとしています。


撮影: 2011年6月

現存十二天守の中でも最も小ぶりです。
本丸側には破風も少なく、天守というよりも
天守代用の御三階櫓だったように思います。


撮影: 2011年6月

本丸の北東隅の櫓台からの眺めです。
麓にあった御殿跡の様子や内堀の向こうに
広がる丸亀の市街地が一望出来ました。

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天守登城から搦手へ

いよいよ丸亀城の天守に登城します。
この天守は1660年(万治3年)に建てられ
重要文化財に指定されています。


撮影: 2011年6月

天守への入り口は、西側にあります。
玄関の様なものはなく、壁に空いた
穴のようなところが入り口でした。


撮影: 2011年6月

天守の一階から二階に向かう階段です。
下の写真は天守の二階(下左)と三階(下右)です。


撮影: 2011年6月

天守の内部は窓が少なく、また二階は東西5間、
南北4間、三階は東西3間、南北2間と小さく、
殆ど観るところもなく、三階まで上がりました。


撮影: 2011年6月

天守からは、北側の眺めが開けていました。

天守への登城後は搦手門を目指して下城しました。
三ノ丸まで戻り、北側の門跡から坂道を下ります。


撮影: 2011年6月

門跡から振り返って眺める二ノ丸の櫓台です。
高い石垣が迫ってくるようです。


撮影: 2011年6月

この三ノ丸北側の門も立派な桝形門です。
登城道は急坂になっていて、三ノ丸から
麓まで、折れ曲がった続いています。


撮影: 2011年6月

門からの登城道が右に曲がると、
再び門跡が現れます。


撮影: 2011年6月

丸亀城の堅牢な造りが判ります。
1658年(万治元年)に丸亀城主となった京極氏は
現在見る丸亀城の大手門を城の北側に設けましたが
それ以前は、この北側が大手門筋でした。

二つ目の門跡を過ぎ、三ノ丸、二ノ丸そして
本丸が築かれた亀山の一番麓に築かれた
石垣に沿って下りました。


撮影: 2011年6月

これで丸亀城の登城を終えましたが、
資料館に立ち寄る事をうっかりしていました。

丸亀城の資料館には、当時の丸亀城の
立体模型が保存されているそうです。
木型模型が残っているのは丸亀城だけ
という事で、見逃してしまったのは残念です。

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