七尾城は、石見西部を拠点に活躍した
益田氏が居城としたお城です。
七尾城は、南北朝時代には既に築城されいたようで、
1336年(延元元年)に南朝方の三隅軍が攻め寄せた
という記録が益田家の文章に残っているそうです。
七尾城は、JR山陰本線の益田駅から東に向かった
益田川沿いの七尾山の山頂部に築かれています。
山頂部の二つの尾根に主要な郭が配置され、
郭の数は全部で40以上も確認されています。
戦国時代末期には、毛利氏の攻撃に備え
大規模な改修が行われたそうです。
その後、益田氏は毛利氏の配下になったようで、
関ヶ原の戦いの後、毛利氏が防長ニ州に移封と
なると、七尾城も廃城になったようです。
この七尾城には2011年7月30日に登城しています。
【七尾城へのアクセス】
七尾城へは、JR山陰本線の益田駅から、
東に歩いて徒歩約30分程です。
山陰本線の乗車記はこちらです。
【七尾城登城記】
七尾城の移築門のある医光寺から
南に向かい七尾城を目指しました。
医光寺は益田の散策記に記しています。
益田の散策記はこちらです。
住宅地に住吉神社の鳥居がありました。
七尾城へは住吉神社を通って行くことが出来ます。
撮影: 2011年7月
背後の山が七尾山でこの頂に七尾城があります。
参道を進むと、七尾城の麓に三日月型の池がありました。
撮影: 2011年7月
この池は、以前の益田川の流れの跡で、当時は
七尾城の堀の役割を果たしていたように思います。
七尾山の麓にも鳥居と社がありました。
撮影: 2011年7月
この先に長い石段が続いています。
この石段は住吉神社への参道ですが、
七尾城への登城道にもなっています。
撮影: 2011年7月
階段を上ったところの住吉神社の神門です。
益田の街並みも見渡す事が出来ました。
撮影: 2011年7月
七尾城へは、住吉神社から更に七尾山に登ります。
住吉神社から数分、山道を登ると、
七尾城の曲輪に辿り着きました。
七尾城は、七尾山の南北に走る二つの尾根に曲輪が
連なって配置されていますが、辿り着いたのは尾崎丸
から千畳敷を経て厩の壇へと至る西尾根曲輪群です。
辿り着いた曲輪を左手に進めば千畳敷へ、
右に進むと厩の壇を経て本丸へと続きます。
この日は時間がなく、本丸への道を進みました。
撮影: 2011年7月
この先には厩の壇がありました。
馬で登城した家臣たちがここに馬を
繋ぎ本丸へと向かったそうです。
厩の壇から千畳敷の方を眺めた様子です。
撮影: 2011年7月
後ろ髪をひかれる思いで、本丸を目指しました。
この先にあった大手の帯曲輪です。
撮影: 2011年7月
大手の帯曲輪は、南北に走る二つの曲輪群が
一つに合わさる要の位置にある曲輪です。
大手の帯曲輪には、長辺22m×短辺5mの大型建造物が
建っていた事が、発掘調査で明らかになったそうです。
大手の帯曲輪から坂道を登って二の段に着きました。
撮影: 2011年7月
ここは、本丸から艮の出丸へと続く東尾根曲輪群の曲輪です。
二の段の南側、本丸との間には空堀がありました。
撮影: 2011年7月
七尾城で唯一の空堀との事ですが、藪が深く生い茂り
その実態はよく分かりませんでした。
そして、最後に辿り着いた本丸です。
撮影: 2011年7月
本丸の南と北の端には大型の建造物が建っていたようです。
城主だった益田氏は1583年(天正11年)に麓の三宅御土居に
居を移したと文書に残っているそうで、それまでは
この本丸が城主の居住地だったと思います。
三宅御土居の登城記はこちらです。
この七尾城の登城では、時間の余裕がなく登り始めてから
下城するまで、およそ45分程で登城を終えました。
訪れなかった曲輪も多く、少々心残りです。
七尾城の大手門は、北に600m程の所にある
医光寺に移築されています。
撮影: 2011年7月
益田市内の散策記はこちらです。
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