岡山城
Okayama Castle, Japan


登城日:
2010. 7. 31









【岡山城 概要】


岡山城は、宇喜多直家とその子・秀家が築いたお城です。
宇喜多直家が1573年(天正元年)に石山城に入った際は、
小城に過ぎなかったようですが、秀家が石山城の東に城郭の
拡張を行い、1597年(慶長2年)には天守を築いています。

岡山城は北から東にかけて蛇行する旭川が
天然の要害となり,東にある本丸から
西に二の丸、三の丸と続いています。

宇喜多直家が入城した石山城は
二の丸の一部になっています





岡山城の天守は3層6階の立派なもので、
黒漆喰の下見板が覆う姿は威厳があり、
「烏城」の名もあります。

安土城天守や秀吉時代の大坂城天守を
模したものと言われています。



この図は南北が逆になっています。


この天守は明治以降も現存していましたが
第二次大戦の空襲で焼失してしまいました。

それでも、月見櫓や西之丸西手櫓が残り
天守や不明門などが外観復元されています。

関ヶ原の戦いで宇喜多秀家属する西軍が敗れると
岡山城には小早川秀秋が入り、その後は
池田輝政の次男・忠継が城主となっています。

1615年(元和元年)に忠継の弟・忠雄が城主となり
岡山城の城郭を完成させます。

1632年(寛永9年)に鳥取城主:池田光仲が岡山城主となると
以降、明治まで光仲の子孫が岡山城主を務めました。


岡山城から旭川を渡った北側にある後楽園には、
訪れたことがあったのですが、岡山城に行く
機会はなく、2010年7月に初めて訪れました。



【岡山城へのアクセス】


JR岡山駅前から岡山電気軌道の東山行
路面電車に乗車し、2つ目の城下下車。

城下から徒歩約5分です。


岡山電気軌道の乗車記はこちらです。






【岡山城登城記】



二の丸内屋敷
December 04, '15


本丸(1) 内下馬門から中の段
December 07, '15


本丸(2) 本段・復元天守
NEW ! December 12, '15



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二の丸内屋敷








西の丸


2010年7月31日、岡山駅前から岡山電気軌道の
路面電車に乗り岡山城に向かいました。

岡山駅から東に進んでいた電車が南に向きを
変える手前の城下停留所で路面電車を降り、
南北に走る城下筋の大通りから小路に入りました。

この城下筋の大通りは、昔の濠跡で、
この東側は岡山城の二の丸でした。


大通りに沿ってビルが建ち並んでいましたが、
この小路に入ると石垣が現れました。



一段と高くなっている石垣で囲まれた一角は
岡山城二の丸内屋敷にあった西之丸の跡です。



石垣からは所々雑草も生えていますが、
街中に急にこんな立派な石垣が現れるとびっくりします。





この石垣に沿って行くと、三叉路に出て、そこを
左に折れると、クランク状の曲がり道になりました。



ここが石山門跡の石垣です。
道を隔てた石垣の上に渡櫓が載った
枡形形式の立派な門だったようです。

この石山門は、明治以降も残り、天守と共に
国宝に指定されていましたが、太平洋戦争の
空襲で残念な事に焼失してしまいました。


石山門跡を抜け、再び左に曲がりました。
高台になっている西の丸を取り巻くように歩いています。

西の丸は、以前は岡山市立内山下小学校がありました。



内山下は、"うちさんげ"と読みます。
江戸時代には池田光政公の隠居所でした。
池田光政は、池田輝政の孫で、3代目の岡山藩主でした。

小学校跡は今ではデイケアセンターになっているようですが
訪れた時には門が開いていて、中に入ってみました。

この西の丸には現存の西手櫓があります。



江戸時代初期の1603年(慶長8年)頃に築かれたそうです。
漆喰の白壁は多少汚れてはいましたが、
400年前に建てられたものとは思えませでした。



石山城本丸跡


西手櫓を眺めた後、石山門跡のあった
交差点に戻りこの先の道を東に進みました。



この道は「烏城みち」と呼ばれていました。



「烏城」とは、黒漆喰の下見板で覆われた
天守から名付けられた岡山城の別名です。
通りには、太閤秀吉が腰かけたという
腰かけ石もありました。



背後の案内板は陽に褪せ、汚れも重なって
殆ど読み取る事が出来ませんでした。


この先で、左手の駐車場の向こう側に
立派な石垣が見えてきました。



この石垣は、宇喜多直家が、1573年(天正元年)に
入城した石山城の天守台と言われています。

安土城が築かれる3年程前の事ですが
この立派な石垣はいつ築かれたものでしょうか。

宇喜多秀家は、この石山城の東に拡張し
岡山と呼ばれる丘に本丸を置いた為、
岡山城という名前になってと言われます。

この石山城の天守台に登ってみました。



その岡山城天守がすぐ近くに見えました。



この角度から見る岡山城天守は
とてもスリムで精悍な趣でした。



二の丸内屋敷跡


この天守台を下り、本丸を目指します。



天守の左手には木に隠れていますが
現存の月見櫓の屋根も見えていました。


内堀に沿って南に下りました。



本丸を取り囲む内堀は幅の広い立派なものでした。
幅は30m程もあるでしょうか。
本丸へと向かう土橋が細く伸びています。





内堀の反対側には立派な長屋門が建っていました。
ここは林原美術館です。



江戸時代、ここは藩主と家臣らとの
対面所が設けられていたそうです。
1830年(文政13年)には対面所は壊され、
新たに御殿も建てられたそうです。

この長屋門は生坂支藩の岡山屋敷の門を
明治以降に移設したものだそうです。
とても、立派で大きな長屋門でした。

林原美術館から東に向かうと
本丸への土橋の袂に出ました。



このまま本丸に向かいたい衝動に駆られますが
この先の県立図書館に前にも堀跡と石垣が残っています。



この堀は二の丸内屋敷と二の丸侍屋敷
との間に配されていたものと思います。

現在、岡山城は本丸以外は市街地化されてしまっていますが
当時は堀が幾重にも本丸を囲んでいました。



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本丸(1) 内下馬門から中の段








下の段


二の丸内屋敷の散策を県立図書館で終え,少し
引き返して内堀の土橋を渡って本丸に向かいました。



案内板には内目安橋との表示があります。
橋の袂に目安箱、今でいう投書箱があったそうです。
当時もこのような土橋だったのでしょうか。

この内目安橋を渡ったところが岡山城大手門です。



内目安門とも内下馬門とも呼ばれていたそうです。
枡形門形式の門で,橋を渡り終えたところに高麗門、
そして左に折れ石垣に囲まれた所に櫓門がありました。



櫓門を支えていた石垣は打ち込みハギの立派な石垣で
岡山藩の威厳を示す大きな石が使われています。


岡山城本丸の絵図です。



旭川と内堀に囲まれた岡山城本丸ですが、
中央の一段高くなっている中の段、
本段の周囲を下の段が取り囲んでいます。

主な建物があったのは、中の段と本段です。
中の段は西側にあり、岡山藩の
政務が行われた表書院がありました。

東側にある本段には天守と本丸御殿が建っていました。


大手門を抜けてすぐ目の前に立派な石垣がありました。



小早川秀秋の時代に築かれた大納戸櫓の石垣です。
小さな石が用いられた野面積です。
こうした高石垣を眺めるだけでも素晴らしいのですが
櫓が建っていた姿は、一層素晴らしかった事でしょう。


ここで右に折れ、下の段を散策しました。
一段高い石垣で囲まれているのは本段です。



不明門の櫓と石垣の上の白壁が当時の様子を彷彿とさせます。
下の段の西側は空き地が広がっていました。



正面の茂みの向こうに旭川が流れています。
右手には内堀があります。

先程の絵図では、旭川や内堀に沿って多門櫓や
倉庫のような長細い建物があった様ですが、
敷地の中央は当時も空き地だったようです。


石垣の左端にある不明門の櫓門を見上げました。



この下に鉄門があり、下の段から一段高い所にある
中の段、本段への入り口になっています。



この階段を上り、中の段へと向かいました。



中の段


鉄門を通り、その先の階段を上った所で
振り返って眺めた様子です。



堂々とした不明門の櫓門の全貌が見えてきました。
右手には下の段跡の空き地が広がっています。


この先に大納戸櫓跡があります。



大納戸櫓は小早川秀秋が
沼城の櫓を移築したものです。



大手門にあたる内下馬門を見下ろす重要な
位置にある櫓で、三重四階建だったそうです。

大納戸櫓の櫓台から西側の下の段を眺めた様子です。



関係者の方のでしょうか、何台も車が停まっていました。
やはり車があると興醒めしてしまいます。

大納戸櫓跡から振り返って眺める中の段です。



遠くに岡山城天守が望まれます。
手前は表書院が建っていたところで
平面復元がされています。
表書院は60もの部屋があり、政務に就く藩士は
出勤すると夫々の部屋で仕事に励んでいたようです。

この一角に宇喜多秀家時代の石垣が保存されていました。



現在見る岡山城址は江戸時代に、池田忠雄が
完成させたものですが、宇喜多秀家が
築城して以来3度ほど拡充されています。


その際に、宇喜多秀家が築いた城郭の上に
土盛され、さらに北側に郭を広げたようです。

こちらは表書院の南にあたる平重門(塀重門)跡です。



ここを抜け、表書院を縦断するように歩くと
中の段北側にある月見櫓が見えてきました。



右手に再び宇喜多秀家時代の
石垣跡がありました。



中の段のほぼ真ん中あたりにこの石垣跡が
あるのですが、宇喜多秀家が築城した際は、
この辺りが中の段の北端だったようです。

表書院の中ほど左手には泉水が復元されていました。



藩主が政務と執ったという招雲閣の南座敷も近く、
藩主は、ここに築かれた庭園を眺めながら
仕事をしていたのでしょうか。

この北側には数寄方櫓跡の櫓台がありました。



泉水の近くには茶室の数寄屋が建てられており、
この数寄方櫓には、茶道具が収められていたと
考えられているようです。

数寄方櫓の南側、中の段の西端には
多門櫓が連なっていたようです。


こうして表書院跡を歩き、中の段の
北西端に位置する月見櫓に辿り着きました。



月見櫓は西手櫓とともに現存の櫓で、
1620年代に建てられたようです。

裳階が付き、城内からは3重に見えています。
名前の通り、この櫓から月見を楽しんだのでしょうか。



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本丸(2) 本段・復元天守








本段


表屋敷の建っていた中の段から天守のある
本段へは不明門を通って入りました。



不明門は櫓門形式の立派な門です。

岡山城本丸の本段は藩主の居住の場で、
執務を行う中の段の表屋敷との行き来は
天守に近い渡り門を使用していたようで、
この門は普段開けられることが無かったそうです。
その為、不明門という名が付いたそうです。

明治の廃城令で取り壊され、1966年(昭和41年)に
鉄筋コンクリートで再建されています。



重厚な門を抜けると本段への石段が続いていました。

本段に入ると、白壁が周囲を取り囲んでいました。



城内で最も高い位置にある本段からは
下の段の空き地が一望に出来ます。



また本段の内部には天守の礎石が展示されていました。



天守も1966年(昭和41年)に復元されていますが
礎石はこの場所に移されたそうです。

本段の東側にあった六十一雁木門です。



この門も1966年(昭和41年)の再建です。
木造で再建されている為に、まるで当時の門の様に思えます。


この六十一雁木門から西に向かうと、本丸御殿跡の
広大な芝生の向こうに復元天守が聳えていました。



1597年(慶長2年)に宇喜多秀家によって築かれた
3層6階の望楼型天守です。
黒漆喰の下見板の概観がとても凛々しい天守です。

この天守は落ち程、登城する事として
天守脇にある廊下門へと向かいました。



本段と中の段を結ぶ廊下門は
普段、藩主の異動に用いられていました。

本段と中の段の間の堀切を
跨いで架けられた櫓門です。



櫓からは下を通る敵を討つ事が出来ました。
この廊下門も1966年(昭和41年)に再建されています。

岡山城の本丸は、こうした再建建造物によって
当時の面影をいくらか残していました。



岡山城復元天守


本段をひと巡りし、いよいよ天守へと向かいました。



手前に付け櫓のある天守は、明治以降も残っていましたが
太平洋戦争の空襲で、惜しくも焼失してしまっています。

天守台は不等辺五角形をしており、その上に入母屋造の
建物を建て、その上に望楼を載せています。

当時は、付け櫓を通って天守に入ったのではないかと思いますが、
今は天守の下に出入り口が設けられていました。

この天守は1966年(昭和41年)に再建されています。
今であれば、木製で当時のままに復元された事と思いますが、
昭和の時代、残念な事に鉄筋コンクリートでの再建で
内部にはエレベーターもあります。

内部では着付けや備前焼の体験も出来き、
色々な展示物もありましたが、
天守からの眺めを楽しんで来ました。



天守のすぐ北を流れる旭川の様子です。
旭川の対岸は日本三名園の一つ後楽園です。
岡山藩主・池田綱政が造った池泉回遊式の庭園です。

上右の写真は天守から南側を眺めた様子です。
芝生の部分に藩主が住んでいた本丸御殿がありました。

岡山城にも金の鯱があり、それも復元されています。



当時、金烏城とも呼ばれていたようです。


天守に上った後に、廊下門の下をくぐり
天守台の下に下りてみました。



戦争の時の火災で,天守台の上の方は
焼かれ、色が変わってしまったそうです。

この先には、後楽園へと向かう月見橋が架かっていました。



月見橋から振り返って眺める岡山城天守です。



見る角度によってその形を変える岡山城天守ですが、
この月見橋から眺める姿が、一番気に入っています。






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