鹿野城
Shikano Castle, Japan

登城日:
2012.05.02

【鹿野城 概要】

鹿野城は、鳥取市街地から西に約20km程の所に位置しています。
岡山と鳥取の県境の三国山からの山塊が日本海近くの
平地に落ち込み辺りに位置しています。

戦国時代に初めにはお城は築かれていたようで、
1544年(天文13年)に、尼子晴久が鹿野城を攻め、
城主の鹿野入道以下が討ち死にしています。

1580年(天正8年)に羽柴秀吉が鳥取城を攻めた際に
功績のあった亀井茲矩
(これのり)が城主になっています。

鳥取城の登城記はこちらです。

鹿野城は鳥取市内に位置していますが、
鹿野城へは山陰本線の列車で浜村まで乗車し、
浜村駅からバスに乗り換えて向かいました。

鹿野城は、中世には鹿野の集落の南側、
標高152mの城山の頂に築かれていました。

江戸時代に入り、麓に本丸と二ノ丸が築かれました。

初代城主の亀井氏は、二代目の亀井政矩の時の
1617年(元和元年)に津和野に移封となりました。

1640年(寛永17年)に播磨山崎藩主池田輝澄が
お家騒動となり鳥取藩に身柄を預けられた後に、
鹿野藩を立藩しています。

幕末の1868年(明治元年)には鳥取藩の支藩・
東館新田藩の藩庁が鹿奴陣屋として置かれたそうです。

鹿野城には2012年5月に訪れています。

【鹿野城へのアクセス】

JR山陰本線、浜村駅から鹿野営業所行バスに乗り、
立町のバス停で下車。
バス停から南に500m程、徒歩10分です。

山陰本線の乗車記はこちらです。

【鹿野城登城記】

鹿野城を訪れた2012年5月2日は、3日間にわたる
北近畿と鳥取のお城巡りの旅の最終日でした。

この日は朝に鳥取駅を出て鹿野の集落にやってきました。
浜村駅からのバスを鹿野総合支所で下車し、
鹿野の集落を南に歩くと、鹿野城の堀端に出ました。


撮影: 2012年5月

幅の広い堀の向こうに小高い山が見えていました。
この山の頂上に、中世の鹿野城が築かれました。

下の写真は、二ノ丸と本丸の間にある堀です。
対岸右手の山が、中世の鹿野城があった城山です。
この広い堀は亀井茲矩によって整備されたそうです。


撮影: 2012年5月

幅の広い堀に囲われたところには二ノ丸が置かれていました。
現在は、鹿野中学校と鹿野小学校が統合された
鳥取市立鹿野学園の王舎城学舎があります。

下の写真は、二ノ丸と本丸の間の内堀になります。
内堀の対岸に本丸が位置しており、写真右手の
城山に中世の鹿野城が位置しています。


撮影: 2012年5月

堀の壁に石垣がありますが、これは当時ものでしょうか。
鹿野城の西側から橋を渡り二ノ丸に向かいました。


撮影: 2012年5月

二ノ丸は、東南隅と西南隅に櫓台がありました。
下左の写真は、西南隅の櫓台からの眺めです。


撮影: 2012年5月

二ノ丸に建っている建物は、鳥取市立鹿野学園の校舎です。
通常学校内は部外者立ち入り禁止ですが、ここは城址を
訪れた人の為に、学校の敷地内の通行が許されていました。

鹿野学園の校舎の真ん中あたりで
本丸に向かう赤い橋が架かっています。


撮影: 2012年5月

城址内にあったデフォルメされた縄張り図ではこの橋は
描かれていないので、後世に架けられたものと思います。

この赤い橋から東(下左)と西(下右)の内堀を眺めた様子です。


撮影: 2012年5月

堀の擁護壁の石垣は、小さな石が積みあがっていますが、
これは江戸時代からの現存なのか、少々自信はありません。

赤い橋を渡ると本丸に辿り着きました。
中学校のグランドとして使われているようです。


撮影: 2012年5月

江戸時代はここに御殿が建っていた事と思います。
本丸からは東側に土橋が続いていました。


撮影: 2012年5月

土橋の南側が薬研堀になっていました。
薬研堀は、断面がV字になっている堀です。

東側の薬研堀から本丸に戻り、学校のグランドに
なっている本丸を東から西へと横断しました。


撮影: 2012年5月

本丸の西側、一段高い所には西物見櫓が建っていました。
西物見櫓から眺める本丸西側の眺めです。


撮影: 2012年5月

こうしてみると、本丸跡は校庭のグランドそのものです。
西物見櫓のある高台の下の部分には
古い石垣があったので、それが唯一の名残です。

本丸西物見櫓跡からは、山頂の天守台へと続く石段がありました。
この石段を登って行ったのですが、上り始めた所に、多分マムシだった
と思うのですが、蛇が横たわっていて、その先も蛇がいるのかも
と思うと、腰が引けた状態で上っていました。


撮影: 2012年5月

石段の脇には綺麗な花が咲いていました。

標高152mの城山には、麓から山頂にかけて
幾つも曲輪が段になって築かれていました。
そのうちの一つが西の丸です。


撮影: 2012年5月

ここは初代藩主・亀井茲矩の隠居所だったようです。
その一段上には、城山神社がありました。


撮影: 2012年5月

須佐之男命を祀り、江戸時代から城の
守り神として崇められていたようです。

神社のある曲輪跡から北を眺めた様子です。


撮影: 2012年5月

鹿野の集落の向こうに、丘陵地と
丘陵地の間の平地が続いています。
この平地の向こうに最寄りのJR浜村駅があり、
更にその向こうは日本海まで続いています。

そしてこちらが山頂にある天守台です。

初代城主の亀井茲矩は関ヶ原の戦いの後、
1601年(慶長6年)から1607年(慶長12年)に
掛けて鹿野城の改築に取り組み、
天守もその頃に築かれたようです。


撮影: 2012年5月

江戸時代、ここには三層の天守が建っていたようです。

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