津和野城
Tsuwano Castle, Japan

登城日:
2011.7.30

【津和野城 概要】

津和野城は、島根県西部の津和野に築かれたお城です。
津和野は、津和野川の作る細長い盆地に発達した町ですが、
津和野城は津和野の西側の霊亀山の山頂に主郭部があります。

山頂の津和野城からは津和野の町が一望出来ます。
この津和野城からの眺めは、さだまさしさんの
「案山子」という曲で、次の様に謡われています。

城跡から見下せば 蒼く細い河
橋のたもとに 造り酒屋のレンガ煙突

津和野城の歴史は古く、西石見の地頭としてこの地に赴任した
吉見頼行が、1295年(永仁3年)から築城に着手したと伝わります。

吉見頼行以降、吉見氏は代々、津和野城を居城としたそうです。
吉見氏は、当初大内氏に属しており、大内氏が滅ぶと毛利氏の
配下に入り、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、毛利氏の所領が
防長二か国となると、吉見氏も津和野を離れたそうです。

その後、坂崎直盛が津和野藩主として入城し、
津和野城を近世城郭に作り替えています。

坂崎直盛は大坂の陣の後に起こった千姫事件で自害し、
坂崎家が断絶すると、因幡・鹿野から亀井政矩が
移封となり、以降亀井氏が津和野藩主となりました。


標高367mの霊亀山の山頂に築かれた津和野城の
主郭部は、天守台を中心に、南北そして西の
台所と三方に曲輪が伸びた形になっています。

主郭部東側の三十間台が天守台よりも
高い位置にあるのは、珍しい造りです。

亀井氏は、山頂の主要部を避け、麓に
藩邸を築き、そこを藩庁としていました。

津和野城には2011年7月に登城しています。
その時の様子を紹介します。

【津和野城へのアクセス】

JR山口線津和野駅から南に徒歩30分程で、
霊亀山に向かうリフト乗り場に着きます。

山口線の乗車記はこちらです。

リフトの所要時間は5分程でしょうか。
リフトを下りると、出城跡を経由して
主郭跡まで徒歩10分程です。

【津和野城登城記】

馬場崎櫓から東門
Dec. 18, '20

台所・三ノ丸から天守台
Dec. 20, '20

太鼓丸・三十間台
NEW ! Dec. 30, '20

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馬場崎櫓から東門

津和野の中心部から南に向かい、津和野川を渡ると、
津和野高校の入り口の所に、馬場先櫓があります。


撮影: 2011年7月

馬場先櫓は、幕末の1854年(嘉永6年)に藩邸が
火災に遭った際に焼失しましたが、1856年
(安政3年)に再建されたものです。

この先、右手に江戸時代の津和野藩の
藩庁跡だった嘉楽園がありました。


撮影: 2011年7月

当時は、南北300m、東西140mの敷地があり、
北側に建物、南側に庭園があったようです。
その庭園が、嘉楽園と名付けられていました。

嘉楽園には物見櫓が移築されていました。


撮影: 2011年7月

物見櫓は藩主が祭礼等の催し物を見物する際に
使われた建物だったそうです。

嘉楽園脇の坂道を歩いて行くと、
津和野城址に向かうリフトがあります。


撮影: 2011年7月

麓からの登城道もありますが、歩いて登ると
30分程はかかりそうなので、このリフトで
山頂の津和野城の主郭跡を訪れました。

リフトに乗っている時、SL「やまぐち」号の
汽笛とドラフト音が山間に響きました。

リフトで簡単に霊亀山に上れますが、津和野城の
主郭部に向かうには、尾根道を更に歩きます。


撮影: 2011年7月

主郭部に向かう途中、堀切がありました。


撮影: 2011年7月

中世の吉見氏時代に築かれた堀切の様です。
津和野城は中世時代には、このような堀切や
竪堀で城の護りを堅くしていたようで、
築かれた空堀の数は88か所に及ぶそうです。

堀切の先には出丸がありました。


撮影: 2011年7月

この出丸は坂崎直盛が津和野に移封になった際に、
津和野城を改築していますが、その際に築かれました。
この出丸の築城を、弟で家老の浮田織部に任せたので
織部丸とも呼ばれています。


撮影: 2011年7月

立派な石垣の門跡を抜けると、
細長い曲輪がありました。


撮影: 2011年7月

南北44.5m、東西18mの広さがあり、門を入って右手に
番所があり、石垣に沿って塀が巡らされていたようです。
曲輪の北東隅には櫓も建っていたようです。

出丸からは、津和野の街が一望に出来ました。


撮影: 2011年7月

谷の向こうには山口線の線路も見えています。
もう少し、この出丸に来るタイミングが早ければ、
「やまぐち号」も眺める事が出来たので、残念でした。

出丸からもしばらく尾根道を歩きます。


撮影: 2011年7月

やがて視界が開け、案内板がありました。


撮影: 2011年7月

この辺りには井戸があったようです。
この先から上り坂になりました。


撮影: 2011年7月

坂道を上ると二ノ丸の石垣が見えてきて、
その先に東門跡の石垣がありました。
ここが主郭部の入り口になります。

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台所・三ノ丸から天守台

東門から仮設のスロープを登って行きました。
左手には二ノ丸の石垣、右手には三段櫓の
石垣が折重なるように見えていました。


撮影: 2011年7月

仮設のスロープを登ると、右手に台所のある郭の
虎口とその隣の西門櫓の石垣が見えてきました。


撮影: 2011年7月

上の写真右手の草の生い茂る
スロープを登ると台所のある郭です。
この郭は天守台から西に延びています。

この郭からは三の丸への通路を隔てて、
天守台が良く見えていました。


撮影: 2011年7月

細長い郭の左手には馬立が並び、
その奥に台所があったようです。


撮影: 2011年7月

郭の中央に案内板が立っていますが、
そこから右手に進むと三段櫓跡です。

郭の西の端まで向うと、こちらにも
立派な虎口の石垣がありました。


撮影: 2011年7月

右手の石垣の上には、海老櫓が載り、
左手には多聞櫓が建っていたようです。

再び、天守台の下まで戻り、天守台と西門櫓台
との間の通路を通り、三ノ丸へ向かいました。


撮影: 2011年7月

三ノ丸は、天守台から南に細長く伸びる曲輪です。
津和野城で最も高い位置にある三十間台と
その南側の人質櫓台が高く聳えています。


撮影: 2011年7月

三の丸の南側も立派な虎口の石垣が残っています。
当時はここに南門櫓が建っていました。


撮影: 2011年7月

三ノ丸の南門櫓跡の石垣から、天守台に戻りました。
天守台から眺める西側に伸びる曲輪の様子です。


撮影: 2011年7月

通常、天守台はお城の一番高い曲輪にある例が多いのですが、
津和野城の天守は二ノ丸にあり、しかも津和野城で最も高い
位置にある三十間台の裏側に隠れるような位置にあります。


撮影: 2011年7月

上の写真は、天守台から三十間台へと続く斜面に築かれた石垣です。

坂崎直盛が三重の天守を建てましたが、1686年(貞享3年)に
落雷に遭い焼失し、その後は再建されませんでした。

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太鼓丸・三十間台

天守台から、津和野城で最も高い
位置にある三十間台へと向かいます。


撮影: 2011年7月

上の写真の右手の石垣が三十間台の石垣です。
斜面を登っていくと、三十間台の北側にある
太鼓丸へと辿り着きました。


撮影: 2011年7月

広々とした太鼓丸の曲輪です。
この太鼓丸は江戸時代初め、
坂崎氏時代に築かれています。

太鼓丸からは、津和野川の造る谷を隔てて、
円錐形の青野山が良く見えていました。

太鼓丸の南に、三十間台の虎口の石垣が見えています。


撮影: 2011年7月

草に覆われた石段を登り、三十間台に向かいます。


撮影: 2011年7月

三十間台は、津和野城の本丸にあたる曲輪です。

三十間台からは、津和野川の谷に広がる
津和野の集落が一望出来ました。


撮影: 2011年7月

石見瓦の赤い色の建物が、緑の豊かな
谷あいに良く映えています。


撮影: 2011年7月

さだまさしが「案山子」で詠った津和野の
町の様子はここからの眺めだったと思います。


撮影: 2011年7月

三十間台は石垣で固められ、霊亀山の
山頂部に舞台の様に迫り出しています。

三十間台の南側には、人質丸と名付けられた
狭い石垣で囲われた曲輪があり、その向こうに
一段低い所にある三の丸の細長い曲輪が見えています。


撮影: 2011年7月

この眺めは、脚が竦みそうな眺めですが、
天空の城そのものの眺めでした。


撮影: 2011年7月

上の写真は、三十間台の南端から津和野の中心街を眺めた様子です。
谷の反対側の山の麓には、山口線の線路も見えています。
煙を上げて走る「SLやまぐち号」も眺めてみたいものです。

三十間台からの天空の城の眺めを、暫く
堪能した後、リフトに乗って麓に戻りました。

リフトを下り、霊亀山の麓の道を南に歩いた
所から見上げた津和野城址の様子です。


撮影: 2011年7月

夕日が、丁度城址の石垣に掛かっていました。
この先に、江戸時代の登城口がありました。


撮影: 2011年7月

この登城口には「ツキノワグマ
生息地注意」の看板がありました。

今回の津和野城の登城は時間の余裕もなく
リフトに乗りましたが、時間の余裕があっても
登城道を登るのは避けた方が良さそうです。

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