山吹城は、1309年(延慶2年)頃に発見された石見銀山の防衛の為、
1530年(享禄3年)以降は、大内氏、石見の国人・小笠原氏、
1562年(永禄5年)に毛利氏が尼子氏の家臣で山吹城主だった
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利すると
山吹城は、石見銀山の主要な坑道の西北に位置しています。
主郭の前後に、何段もの曲輪が連なる配置になっています。
この山吹城には2011年7月29日に登城しています。
山吹城へは、JR山陰本線の大田市駅から、
大森バス停から山吹城登山口まで徒歩20分、
石見銀山を、代官所跡から町並みをゆっくり見て回り、
銀山川の谷あいから眺める要害山の様子です。
代官所跡から石見銀山のメインの観光スポットに
山吹城の登城道の周囲には木々が生い茂り、
山道を上りだして、すぐの所に大満寺跡がありました。
土塁の下に石垣の跡も見えています。
下屋敷から少し登った所に、山吹城の
この先では木製の階段が整備されたり、
5、6分程上ると、山の尾根に辿り着き、
真っすぐの道は尾根を越えて下り坂となり、
吉迫口から左手に折れると、尾根に沿った
この上り坂が、天まで届くかという程の
幾つもの山城に上って来ましたが、この階段程
この急な階段を20分程上り続けると、
登城した日は天気にも恵まれ、石見の山々が続き、
景色が開けた場所は、要害山山頂の山吹城の主郭部ですが、
下の写真は二の郭から眺めた主郭の様子です。
やっとの思いでたどり着いた主郭の様子です。
ここも夏草が深く生い茂っていますが、
主郭に立つ山吹城の城址碑です。
主郭の北側から南へと抜けていきました。
山吹城の主郭の南側にも3段ほど、郭が連なっています。
階段を下りたところは、山吹城主郭群の
ここからは、山吹城の南の山々と、
南側の山並みのやや左手のピークが矢滝城址です。
矢滝城も矢筈城も、山吹城と共に
この景色を眺めていると、矢滝城址にも
この郭南側には、19本以上もの竪堀が連続して
山吹城の南側の登城道も急な坂道が続いています。
山吹城址に上っている間、ずっと他の人の姿を見かけず
Yamabuki Castle, Japan
登城日:
2011.7.29
周防・長門の守護・大内弘幸が築城したと伝わります。
一説によると15世紀後半に大内義興によって
築城されたとも言われているそうです。
毛利氏そして尼子氏との間で石見銀山の争奪戦が激化し
山吹城の支配者は目まぐるしく変わります。
本城常光を滅ぼし、石見銀山と山吹城を支配下に治めます。
石見銀山は幕府直轄地となり、翌1601年(慶長6年)に麓に
奉行所が置かれた為、山吹城は廃城となったそうです。
標高414mの要害山の山頂に主郭群が配置されていました。
石見交通のバスで大森または大森代官所跡下車。
バスの所要時間は約30分です。
登山口から山吹城主郭まで、30分程掛かります。
清水谷選鉱場跡を訪れた後に、山吹城に向かいました。
この要害山の山頂部に山吹城址があります。
なっている龍源寺間歩へと向かう道から
山吹城への登城道が続いています。
真夏の7月末という事で藪蚊が大量に
襲ってきます。
その先の右手に休役所跡と下屋敷跡があります。
下屋敷はかなり広い敷地があったようです。
大久保長安は赴任当初、石見銀山の奉行所を
この下屋敷の場所に置いたそうです。
大手門があったと言われているようです。
その場所ははっきり分かりませんでしたが
この写真の辺りでしょうか。
急な上り坂を上って行きました。
山道が二手に分かれていました。
吉迫口という分かれ道です。
西側にある石見銀山の柑子谷精錬所跡と
永久精錬所跡に向かいます。
上りとなり、山吹城へと向かいます。
急勾配の階段が、何処までも続いていました。
急で、体力が消耗した道はありませんでした。
相変わらず藪蚊の襲撃も続いており、
とにかく大変な上りでした。
ようやく展望が開けてきました。
その向こうに三瓶山まで手に取るように見えています。
急な階段を上ったご褒美の素晴らしい眺めでした。
本丸にあたる主郭へは、未だ三段分の郭が控えています。
夏草が伸び、麓で見た「マムシ注意」の
看板が思い出され、草の深い所には
行けずに、恐々と主郭へ向かいました。
主郭からの眺めは一層素晴らしいものでした。
主郭からは三瓶山が手に取るように見えました。
主郭の南側には夏草に覆われていますが
立派な空堀がありました。
郭と郭の間の段差は大きく、立派な木製の
階段が整備されていました。
一番南にある郭でした。
西側の展望が開けていました。
その右手の山塊に矢筈城がありました。
石見銀山を護る為に築かれた山城です。
矢筈城址にも行きたくなりますが、山吹城の
登城で体力をかなり使い果たしており、一日で
これらの城址を制覇するのは至難の業と思います。
掘られているそうですが、藪が深くそれを
確認出来ずに下山する事にしました。
15分程、急な坂道を下るうち、石見銀山の
谷底をゆくメインストリートに出ました。
孤独な山城巡りになっていましたが、この道には
多くの観光客の姿があり、ホッとしました。