天王山の戦いで明智光秀が討たれ、明智秀満も
坂本城で自刃すると、福知山城には秀吉の城代が置かれ、
徳川幕府成立後は、有馬豊氏が移封され
城下町の整備や福知山の地の検地を行ったそうです。
1620年(元和6年)に有馬豊氏が久留米に転封した後は
岡部長盛、稲葉紀通、松平忠房の各氏が城主となり、
1669年(寛文9年)に朽木稙昌が城主となると、
以降明治になるまで朽木氏が13代にわたって
福知山の地を治めることになりました。
福知山城は福知山盆地の中央にある
丘陵地の東の端に築かれています。
地図はこちらです→
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福山城の南東から北西にかけて土師川と由良川が流れ、
この川が東側の天然の堀となっていたようです。
天守は丘陵地の東の端に位置し
その西側に御殿の建っていた二の丸、
その更に西には伯耆丸が築かれていたようです。
この福知山城には、丹波亀山城を訪れた後、
山陰本線の電車に乗って向かいました。
福知山駅の北側の道を真っ直ぐ東に向かうと
丘陵地に福知山城の天守閣が見え、
その麓に櫓が建っていました。
当時の櫓の復元したものかと思いましたが
これは櫓風の美術館の建物のようです。
美術館と天守の建つ丘陵の間の
坂道を上って本丸に向かいます。
本丸の石垣と土塀が迫ってくるようです。
坂道を更に上り、本丸の内部に入ると
二つの天守閣の建物が目の前に迫っていました。
左側が大天守、右奥が小天守です。
この両天守は、1985年から1986年にかけて
外観復元された鉄筋コンクリート製の天守閣です。
土塁の内側には福知山城の石垣として使われていた
灯籠等の転用石が展示されていました。
石垣に今も使われている転用石も合わせると
福知山城では500近い石塔の石が
石垣に使われているそうです。
天守閣の石垣にも墓石と思われる
転用石があるのを見つけました。
こちらは豊磐井(とよいわのい)と呼ばれる井戸です。
朽木氏の時代に造られた井戸ということですが、
深さは50mもあり、近くを流れる由良川の
河床よりも深く掘られているそうです。
本丸内を一通り見回った後に、
大天守閣に登ってみました。
3層4階の大天守から眺めた福知山の街の様子です。
この日はどんよりとした曇り空で、
周囲の山々に靄がかかっています。
この写真は、福知山城の東を眺めた様子です。
由良川の流れが見えていました。
天守閣を訪れ、本丸の西側に廻ると、
銅門番所の建物がありました。
この銅門番所は、元々は二の丸の
登城口に建っていたのですが、
大正時代に天守台に移築され、天守閣の
再建に伴って、再び移築されたそうです。
現存する福知山城の唯一の
遺構なのではないでしょうか?
これで福知山城の散策を終えて、駅に戻る途中
福知山市役所の脇の小高い丘の上に行って見ました。
原っぱが広がっていたのですが、
地図でみると伯耆丸公園となっていました。
当時、伯耆丸があったところが
そのまま公園になっているようです。
夏草や木が生い茂っていたのですが
ここからは福知山城の天守閣が真正面に見えました。