彦根城を訪れたのは、2005年9月の事です。
JR彦根駅で下車し、駅前を真っ直ぐ
15分程度歩くと彦根城に辿り着きます。
護国神社の辺りから松の植えられたお堀端を歩き、
やがて多聞櫓と櫓門が行く手を遮ります。
急に何百年も時代が遡ったような雰囲気です。
あまり予備知識なく彦根城を訪れたので、
この虎口を大手門跡と思っていましたが、
佐和口多聞櫓というそうです。
当時の現存の建物で重要文化財に指定されています。
佐和口多聞櫓を抜け、二之丸に入ります。
すぐ目の前に内堀が現れ、
左手には、長い建物が建っていました。
十数頭の藩主の馬を飼っていたという馬屋です。
馬屋はこの彦根城だけに残っているそうで、
この建物も重要文化財です。
本丸に入る前から、城内には当時の建物が
いくつも残り、さすが国宝のお城です。
表門橋を渡り、内堀の内側へと足を踏み入れます。
表門橋を渡ってすぐのところに
表御殿が建っていました。
これは復元ですが、御殿建築がある
お城は珍しく、さっそく中に入ってみました。
勇猛さで知られた「井伊の赤揃え」の
甲冑が出迎えた表御殿。
能舞台が復元され、藩主が日常生活を
営んだという「奥向き」が再現されています。
こじんまりとした庭を持ち、
落ち着いた雰囲気の「奥向き」。
その庭に出ると、表御殿の向こうに、
小高い金亀山の上の櫓が見えていました。
下の写真は、庭の片隅にあった蹲(つくばい)です
江戸幕府成立後は天下泰平の日々が続き、
藩主の日常は、落ち着いた
静かなものであったのでしょうか。
表御殿を出て、いよいよ天守に向かいます。
金亀山を目指し、上り道が続きます。
やがて石垣で出来た切り通しの上の
櫓と橋が見えてきました。
天秤櫓と廊下橋です。
彦根城の縄張り(お城の設計)はとても複雑で、
一旦この切り通しを抜けた後、
切り通しに架かる廊下橋を渡り
本丸曲輪に入る構造になっています。
廊下橋をくぐり、一段高い鐘の丸に辿りつきました。
鐘の丸から眺めた天秤櫓です。
多聞櫓とそのの両側に建つ二重櫓の姿を
天秤に見立てて名付けられたもので、
この天秤櫓も当時の建物で、
重要文化財に指定されています。
天秤櫓を抜けると、太鼓門櫓です。
ここが本丸への最後の関門。
太鼓門を抜け、ようやく天守が目の前に現れました。
三重三階の国宝の現存天守です。
大津城から移築され、1606年
(慶長11年)に完成したようです。
飾り金具が着けられた破風が特徴的です。
内部は、陽があまり差し込まず、
暗い板張りの部屋が続き、
急な階段で上の階にを登ります。
一番上の階からは、琵琶湖や
石田三成の居城だった
佐和山城跡が望めました。
天守の見学を終え、
玄宮園という庭園に向かいました。
途中、天守の奥、石垣に囲まれ、
一段低くなった曲輪が西の丸で、
ここにも現存の三重櫓(重要文化財)があるのですが、
そこは見逃してしまいました。
玄宮園へは搦め手にあたる黒門からが便利です。
その途中の道は、深い山の
ハイキングコースのような雰囲気でした。
二代藩主・井伊直孝は、有事に備え、
彦根城のある金亀山に止血や薬用に効く
カクレミノやセンダンの木々を植えたそうです。
これらの木々も井伊直孝に植えられた木でしょうか。
黒門跡を抜け、広い内堀を渡ります。
長い塀に沿って玄宮園を目指しました。
玄宮園に入ってまず目に付くのは、
写真の槻御殿です。
藩主の下屋敷だったそうで、
井伊直弼もこの建物で生まれたそうです。
そして、玄宮園の内部を散策しました。
築山や池を配した見事な庭園です。
池の向こう遠くに彦根城天守が聳えていました。
池と庭園越しの天守。
彦根城でもっとも有名な景色です。
生憎の逆光で、上手く写っていないのですが、
とてもいい景色でした。
紅葉の名所とのことで、またいつか
その時期に訪れてみたいです。
玄宮園の後、佐和山口多聞櫓まで戻り、
最後に、埋木舎を訪れました。
埋木舎は大老井伊直弼が
17歳まで過ごしたところです。
白壁の塀に囲まれた埋木舎。
中掘に面したこの辺りも
江戸時代に逆戻りした雰囲気でした。