大和郡山城
Yamato Kooriyama Castle, Japan


登城日:
2006. 10. 04







大和郡山城は戦国時代にこの地域の武士の
棟梁だった筒井順慶が造ったお城です。

筒井順慶が亡くなった後は、秀吉の弟
大和大納言秀長が100万石の城主となりました。
この郡山の地が大阪城を守る為に
重要な土地だった為とのことです。


地図はこちらです→ Mapion


この大和郡山城に2006年10月に行ってきました。

近鉄郡山駅から線路に沿ってお城を目指しました。
やがて溜池の様な鷺堀跡が現れ、城址に着いたと思ったら、
そこは郡山高校の門があり、中に入れません。

土地の方に道を尋ね、お堀に沿って西に廻り
そこから城址に向かいました。
あとで判ったのですが、これはどうやら
搦め手からお城を攻めるルートだったようです。




これは城址内の柳沢文庫に掲げられていた城郭の案内図です。
大和郡山城は、訪れる前に調べても城郭の様子が良くわからず、
現地の案内標識も見当たらなかったのでまさにお城の
攻め手になった気持ちで、城址に向かっていました。

以下の城内の説明も、この案内図を基に
後で判った知識を基に書いています。


南門跡から城郭内に入りました。
この辺りは右手に松蔵曲輪、
左手に麒麟曲輪があったところです。

この先の路地を右に曲がると、石垣と土塀の続く
城址らしい雰囲気の道がつながり
松蔭門の碑が立っていました。



この右手が旧二の丸で、先ほどの郡山高校の敷地です。
この左手に堀が現れ、本丸を囲む石垣が見えてきました。



古びた石垣に草が覆い古城然とした感じです。

土橋を渡り本丸へと足を踏み入れます。
本丸を入ったところに神社がありました。
柳沢神社です。



大和郡山城は江戸時代に入ると、譜代の水野氏や
本田氏、松平氏が藩主を勤めていましたが
1724年(享保9年)に柳沢吉保の子、吉里が
1甲府城から5万石で入城し、明治維新まで
柳沢氏が藩主を勤めています。

甲府城の様子はこちらです。

この柳沢神社の裏に天守台の石垣があります。

この天守台の石垣は秀長時代に築かれた古いものの様で、
形の整わない石を積み上げた野面積みになっています。



よほど築城を急いだのか、石が不足していたのか、
平城京の礎石やお地蔵さんも石垣に使われています。

なかでも、上下逆さに配置されているお地蔵さんもあります。
当時の武士社会は神仏を畏れることがなかったのかな?と
ちょっと不思議な印象を持ちました。
少し崩れかけた天守台に、上る事が出来ました。
展望が開け、周囲の城郭の様子が良く判ります。

遠くに見えるのは、復元された追手向櫓、
そして屋根しか見えませんが追手門と
木に隠れた追手東隅櫓です。




天守台の後は、本丸の東隣の毘沙門曲輪に向かいました。
本丸と毘沙門曲輪の間の堀の様子です。



石垣の上を草木が覆い尽くし、
打ち捨てられたお城そのものの情景です。

思わず「荒城の月」のメロディが浮かんできます。
当時は石垣の上に土塀や多聞櫓が続いていたと思うのですが、
その様子を思い浮かべていました。


毘沙門櫓には柳沢文庫が開館していて見学してきました。



柳沢文庫は、最後の藩主・柳沢保申(やすのぶ)の跡を継いだ
柳沢保恵(やすとし)が邸宅の一部を開放して
書籍や雑誌、新聞を公開したのが始まりです。

一時期は閉鎖されていましたが、1960年に再開し、
藩の公式文書の管理・公開をはじめ、
歴史文化センターの役割を果たしているそうです。

この日は特別展「郡山藩と京都大名火消」が開かれていました。
京都火消は1722年(享保7年)に確立された制度です。

郡山藩、膳所藩、淀藩、亀山藩の四藩のうち
二藩が交代で、半年ずつ京都に詰め
御所や二条城の消火活動に備えていたそうです。
また京都で大火の場合には藩主がすぐ駆けつけられるように
数百人に上る藩士を常に待機させていたそうです。

この柳沢文庫を見学した後は、
続きになっている常盤曲輪に向かいました。

ここには先ほど天守台の上から眺めた
復元された追手門や追手向櫓、追手東隅櫓があります。



小雨が降りだしそうな天気だったので、
追手門も櫓もしっとりとした感じでなかなか良かったです。
やはりお城は石垣だけでなく、当時の建物が
建っている方が引き締まっていいなと思います。

城址の北の端には土塀も復元されていました。



下見板張の塀が石垣と似合って
引き締まって見えました。

これで大和郡山城の見学を終え、
近鉄郡山駅に戻りました。

途中、内堀から眺めた追手向櫓です。



周囲は桜の木が多いようで、
春にはとても綺麗な事でしょう。

大和郡山城は大和大納言100万石の
お城だけあって立派な規模のお城でした。



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