この淀古城は、徳川幕府が築城した淀城の
東北、500m程のところにあります。
地図はこちらです→
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淀駅前の商店街を抜け、納所という交差点で
交通量の多い京阪国道沿いを渡りました。
ガソリンスタンドの脇の緩やかな坂道を登っていきます。
淀古城は、今では妙教寺というお寺になっています。
小さな川に架かる橋の袂のお店で道を訪ねると
すぐ先とのことで、地図も持たずに行ったのですが、
なんとか迷わずに辿りつけました。
妙教寺は小さなお寺でした。
境内には鐘楼と本堂が建っていて、
鐘楼の脇に淀古城の碑が建っていました。
淀殿がこのお城に入ったのは1582年(天正十年)のことです。
お寺の裏には先ほど渡った小川が流れており、
この妙教寺が当時の淀古城の中心に位置していたのであれば、
当時から淀古城の城郭はそれ程大きくなかったのではないでしょうか。
とすれば、淀古城は館城ではなかったのかな、と想像を巡らします。
淀殿が住んでいた淀古城は1594年(文禄3年)に廃城になりました。
この妙教寺は鳥羽伏見の戦いの時に激戦区になっています。
本堂には銃弾が貫通した後もあるそうですが、
お寺はひっそりとしていて、遠慮して帰って来ました。
この碑は戊辰戦争の際のものだったように思います。
淀殿がこのお城に住んでいたときの様子や
戊辰戦争の戦いの様子を思い浮かべながら
この妙教寺を辞して淀川の堤防に出てみました。
お寺から淀川の堤防までは目と鼻の先の距離です。
河原にはコスモスが咲いていました。
その向こうには天王山も眺められます。
側室の茶々に与えたこの淀古城は大阪城から離れています。
秀吉は船でこの淀古城を訪れていたのでしょうか。