淀城
Yodo Castle, Japan


登城日:
2006. 10. 04







地図はこちらです→ Mapion


淀城址は京阪電鉄の淀駅のすぐ目の前にあります。
淀屋橋方面から京都三条に向かう電車が淀駅に
到着すると淀城の石垣が目の前に見えています。



淀城というと、秀吉が側室の
淀殿に与えたことで有名ですが、
このお城はその淀城ではありません。

淀殿の淀城は、今では淀古城と呼ばれ、
ここから500m程、北東にありました。

淀古城の様子はこちらです。

この淀城は伏見城が廃城になった後、
1623年(元和9年)に徳川幕府によって築城されています。
桂川、宇治川、木津川の三川が合流する
要衝の地に築かれたのです。


淀駅を出て、駐輪場の中を進んでいくと、
淀城の本丸跡に入りました。

城内の案内板を見ると、淀城は宇治川と
木津川そしていくつもの水堀に囲まれ、
水に浮かぶお城だったようです。



本丸の左手に天守台の石垣、そして
正面には小さな神社がありました。



この神社は、1723年に下総(千葉県)佐倉から入封し
幕末まで淀城主だった稲葉氏を祀る稲葉神社です。

神社に立ち寄った後、天守台に向かいました。
石垣で囲まれた一段高くなっている曲輪の上に
天守台の石垣が築かれていました。



石垣の上からは内堀に突き出た天守台が見えています。
内堀の先は京阪電鉄の淀駅です。

中には入る事が出来なかったのですが、
天守台は当時のまま残っているようです。



この淀城へは、伏見城の天守を移設する予定で、
天守台もその大きさに造られたそうですが、
結局は規模の小さい二条城の天守を
この淀城に移設したそうです。

二条城の様子はこちらです。

天守と石垣の大きさがアンバランスになってしまったので、
天守の四隅に櫓を従えた特異な天守だったようです。

この天守は1756年(宝暦六年)に
落雷で炎上してしまったそうです。

一段高い石垣の上から眺める本丸跡の様子です。



今では、木が生えていますが、
当時は御殿が並んでいたのでしょう。

この石段の上は雑草が生い茂り、
藪蚊が何匹か襲ってきました。

傍らの木の根元に何か石が食い込んでいます。



どこからともなく現れた地元のおじさんが、
当時の手水に使われていた石と説明してくれました。

本丸跡の周囲には、当時には多聞櫓が
上げられていたと思われる石垣が残っています。
雑草で覆われていましたが、なんとか半周してきました。

本丸跡には城址の碑がたっていました。



城郭の多くが失われ、一部が残るのみの淀城でしたが、
地元の観光協会では天守を再建の動きもあるようです。
いつの日にか淀城の天守台に天守が蘇ればと思います。



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