深大寺城
Jindaiji Castle, Japan


登城日:
2010. 1. 29







【深大寺城概要】


深大寺城は現在の調布市北部にある古城です。
築城主は不明の様ですが、15世紀には築かれていたようです。

その後、扇谷上杉氏がこの深大寺城を拠点に
後北条氏と対抗しますが、1537年(天文6年)に
北条氏綱が上杉氏の本拠・河越城を攻略し、
その後、深大寺は廃城になったようです。

川越城(河越城)の登城記はこちらです。




深大寺城は、多摩川の北側、
武蔵野台地の南端に築かれています。

南側には野川が流れ、東側には水生公園となっている湿地があり、
これらが天然の堀の役割を担っていたと思います。





深大寺城の縄張りは、東の湿地に臨む台地の端に
第一郭、その西に第二郭が配された、
連格式の縄張りだったようです。



【深大寺城へのアクセス】


京王電鉄調布駅北口から深大寺行きバスに乗車。
所用時間約15分。

深大寺下車、徒歩約5分程です。

運転本数は1時間に6本程あります(2014年現在)。





【深大寺城登城記】




水生公園から第一郭


深大寺城址は、神代植物公園の
水生公園の一部になっています。

深大寺城址を訪れた際には、水生公園は
工事中で立ち入り出来なかったのですが、
深大寺城址の立ち入りは出来ました。



公園に入って右に折れ、湿地の脇の道を歩いて行きます。
途中で見下ろす水生公園の湿地です。



この湿地は、当時は深大寺城の
天然の要塞になっていたと思われます。

この背後の丘陵地帯に深大寺城があったのですが
本郭と湿地帯の間には本郭の前面に腰郭もあった様です。

この先には、本郭の切岸に古びた石垣がありました。



案内板も無かったのですが、
深大寺城の当時のものでしょうか。

ここから一段高くなっている
深大寺城の本郭に向かいます。



第一郭と第二郭の境の辺りに
城址碑と案内板がありました。



この碑の左手に第一郭がありました。
深大寺城址は公園として整備されており、
郭跡には遊歩道が設けられています。



この周囲には当時は土塁が囲っていました。
今は、土塁跡に木が生い茂っています。



土塁は崩れてはいましたが、
その痕跡は留めていました。

第一郭の西側、丁度城址碑のあった辺りは
櫓台があったようです。

その場所は高台になっていて、木々の間から
第二郭を見下ろす事が出来ました。



この第一郭と第二郭の間には
深い空堀が残っていました。



空掘りの第二郭側には土塁も残っていました。




第二郭


第一郭と第二郭の間の空堀を
土橋で渡り、第二郭に向かいました。



この空堀に沿う土塁は良好に残っています。

第二郭跡は、芝生が植えられ、
綺麗に整備されていました。



当時の掘立小屋跡が、杭で示されています。
第一郭と第二郭の間の空堀は、カーブを描いて
第二郭の東側に沿って続いています。



第二郭の南側は、東西に土塁が走っていました。



この土塁は1m程の高さがあります。
当時はどれ程の高さの土塁だったのでしょうか。

丁度、中央の部分は虎口になっていたのか
土塁に切れ目がありました。



草が刈られ、芝生が植えられた土塁は
子供達にとっては格好の遊び場になっていました。

第二郭の南側から西側にかけての様子です。



土塁が綺麗にカーブを描いている様子が判ります。

西側の土塁の端の様子です。
外側にもう一つ土塁がありその間が空堀になっています。



深大寺城の西側は、武蔵野台地へと連なり
地形的には守りが弱くなっている為、
こうして幾重にも土塁や堀を築いたのでしょう。

再び、第二郭の中央部を眺めてみました。



一番奥の第一郭が、城主の居住区と考えると
この第二郭は家臣や兵士達がいた場所でしょうか。

この広さだと、数百人規模の兵が
詰める事が出来たように思います。


この第二郭の北西側には、
深大寺蕎麦の畑もありました。




当時の深大寺城は、第二郭の西に
第三の郭もあったようです。

今その跡はテニスコートになっています。



水生公園の隣の入り口から
その様子を眺めに行ってみました。

低地にある入り口から折れ曲がった
坂道を上っていきます。
まるで空堀の中を歩いている様な感じがしました。



テニスコートの脇にも土が盛り上がり、
土塁の様になっていました。



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