古河公方館
Koga Kubou Yakata Japan


登城日:
2009. 8. 23







【古河公方館概要】


古河公方館は1455年(享徳4年)に初代・古河公方の
足利成氏によって築かれたとされています。


この年、第五代鎌倉公方・足利成氏は、
関東管領・上杉憲忠を暗殺した為、
関東一円は騒乱の世となり、成氏は鎌倉から
この古河へと本拠を移したそうです。

足利成氏は2年後の1457年(長禄元年)には
古河城に移ったそうなので、この古河公方館を
本拠としたのは、僅か2年だったそうですが、
その後も別館として使われ、鴻巣御所と呼ばれていました。

古河城の登城記はこちらです。


古河公方館は、古河城本丸跡から1km程南にあり、
現在は古河総合公園になっています。

古河公方館跡は、古河総合公園の
御所沼に囲われた微高地にあります。



古河公方は、130年も続いたそうですが、
戦国時代後期には後北条氏の支配下になったようです。



【古河公方館へのアクセス】


JR古河駅から古河総合公園まで、
約2.5km程、徒歩約30分です。






【古河公方館訪問記】



2009年8月23日、古河城出城跡を訪れた後に、
古河公方館跡に向かいました。

古河城の散策記はこちらです。
古河公方館のある古河総合公園に向かう途中、
古河の市街地を抜けると、のどかな田園風景になりました。



古河城出城跡にある古河歴史博物館から、
南に真っ直ぐ1.5km程歩くと、古河総合公園の
入り口に辿り着きました。




芝生の広がる整備された公園を歩いて行くと
昔ながらの武蔵野を彷彿とさせるような
御所沼が見えてきました。



静かな御所沼の向こうに横たわる半島状の
微高地の杜が、古河公方館のあった所です。

御所沼の畔を抜け、杜の中に入り込みました。



土塁でも巡らせてあるのかな、と思っていましたが
特にそれらしいものは見当たりませんでした。

杜を抜けて、御所沼を眺めた様子です。



この先の杜を抜けると古河公方館跡がありました。



案内板には、この館跡の東と西に
空堀と土塁があるという事でしたが、
それらしいものは確認出来ませんでした・・・


古河公方館は、御所沼から眺める杜の様子に
当時の面影が残っていると慰め、近くにあった
古民家を眺めてみました。



旧中山家住宅と旧飛田家住宅です。
いずれも江戸時代に建てられた農家です。


この古い農家を抜け、御所沼の北にある
古河公方5代目・足利義氏墓所に向かいました。



このこんもりとした杜が足利義氏墓所です。

古河公方と聞いて、戦国時代の中頃と
イメージしていましたが、この足利義氏が
没したのは、1583年(天正11年)の事で、
本能寺の変の翌年になります。

義氏墓所の入り口です。



この右手の杉の木が生い茂っている
所が、足利義氏のお墓のようです。



お墓と言っても碑や墓石もなく、ここに
遺骸が埋められているという事でしょうか。

足利義氏は、北条氏照を後見人としており、
この時代には権力もなく、義氏の死をもって
古河公方は自然消滅したそうです。




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