忍城
Oshi Castle, Japan


登城日:
2009. 8. 22







【忍城概要】


忍城は、豊臣秀吉の小田原攻征伐の際、
最後まで持ちこたえた城として知られています。

忍城は、現在の埼玉県行田市に位置する
戦国時代から江戸時代にかけてのお城です。





忍城が歴史に登場するのは、1447年(文明11年)に
足利成氏の書状に出てくるそうです。
この年までに、成田顕泰が築城し、以降4代に亘って
成田氏がこの忍城の城主として戦国時代を生き延びます。

成田氏長が城主だった1590年(天正18年)に、
後北条氏は豊臣秀吉に攻められ、後北条氏に
従っていた成田氏の忍城も、石田三成によって
水攻めを受けますが、それに耐え、小田原城が開城した際に
持ちこたえていた唯一の城として知られています。


忍城は、その後、家康の持ち城となり城番が置かれますが
1633年(寛永10年)に松平信綱が城主となり、6年後の
1639年(寛永16年)に阿部忠秋が移封し、幕末近い
1823年(文政6年)まで阿部氏が忍藩の藩主となりました。

代って奥平松平氏の松平忠堯が桑名から移封し、
4代目の松平忠誠の時に明治を迎えています。


忍城は戦国時代から湖沼に浮かぶ
水城として知られていたようです。



この絵図は諏訪神社に掲げられていたものです。
江戸時代に入ってからの絵図と思われますが、
広い湖のような堀の中に、曲輪が
浮かんでいる様子が判ります。



【忍城へのアクセス】


秩父鉄道行田市駅から
吹上駅行きバスに乗車。

忍城下車すぐで,忍城を模擬した
行田市郷土博物館に着きます。

徒歩約15分程です。


行田市駅から駅前通りに出た
行田本町からは熊谷駅、吹上駅
行きバスが本数も多く便利です。




【忍城登城記】



2009年8月22日、この日は高崎城
前橋城に登城した後に、忍城に向かいました。

高崎城の様子はこちらです。
前橋城の様子はこちらです。


秩父鉄道の列車を行田市駅で下車し、
まず向かったのは水城公園です。

水城公園は駅の約1.0km程南に位置した
沼池を中心とした公園ですが、
当時の忍城の堀だったところです。

既に日が西に傾き始めた水城公園です。



湖のように池が広がる水城公園。
周囲に木々が広がる様子は、
のどかで豊かな公園です。

今では埋め立てられてしまっていますが、
当時はこの池よりも更に広い堀が、
忍城の東側にあったようです。

この広々とした水城公園の様子は、当時、
浮城と呼ばれた忍城の様子を今に伝えています。


水城公園の北側は、庭園風に整備されていました。



この庭園のあった場所も、
当時は堀の中だったようです。

この庭園の外れは木々が生い茂り、
原野の様な景色になりました。



この景色の中、忠堯候・忠国候
隠所跡の碑がありました。



1823年(文政6年)の絵図によると
広い外堀の中に島の様に浮かぶ
沼橋門の南にあった藩主隠所です。


ここを抜けると市街地となりました。
中央小学校を左手に北へと向かいます。



広々とした芝生の向こうに
行田市役所が見えてきましたが、
この辺りも当時は堀の中でした。


しばらく歩いて行くと冠木門が見えてきました。



この冠木門は模擬ですが、
当時はこの辺りが外堀の境目で、
時鐘楼があった所の様です。

ここから模擬三重櫓に向かって
古風な小路が整備されていました。


この小路を抜けると、お堀端に立つ
模擬御三階櫓が見えてきました。



御三階櫓を背景にした木橋が
当時の城郭の面影を伝えています。
この景色は後世の模擬復元なので、
当時の様子とは異なります。

堂々とした東門の様子です。



この門も模擬復元と思いますが、
案内板がなく詳細は判りませんでした。

門が閉められているようで、びっくりしましたが
脇の戸が開いていて無事に曲輪の
中に入る事が出来ました。
門をくぐったところにある 忍の時の鐘です。



この鐘楼が、当時は先ほどの
冠木門のところにあったのでしょうか。


模擬復元の御三階櫓は、行田郷土
博物館の付属設備になっています。

御三階櫓に上って周辺を眺めてみました。
中央小学校の方向を眺めた様子です。



この向こうに水城公園があり、更にその向こうに
石田三成が、忍城攻略の際に陣を敷いた古墳群が
あるそうですが、その様子を見る事は出来ませんでした。

忍城の御三階櫓は、当時はこの辺りに建っていたようです。





模擬復元・御三階櫓の周囲は土塀も築かれ
当時の様子を彷彿とさせてくれます。




このあたりに高麗門がありました。



かつての藩校・進修館の表門と伝わる門です。
1832年(天保3年)に建てられたものです。

この高麗門を抜けると本丸土塁が残っていました。



殆ど遺構の残されていない忍城にあって
この本丸土塁は数少ない遺構と思います。
しかも残された土塁は3m近い高さがあり、
見事なものでした。


本丸土塁を眺めた後、北側を走る国道125号線を
越えた所にある諏訪神社を訪れました。



ここは当時は諏訪曲輪だったところです。
既に夕刻となり、同じ境内にある東照宮などの
入り口の門は閉まっていました。



ここにも土塁が残っているようですが、
その様子は見逃してしまいました。


2009年夏に訪れた忍城。
当時はとても静かな佇まいでしたが、
その後「のぼうの城」という映画で取り上げられ
多くの観光客が押し寄せるようになったようです。



"日本全国お城巡りの旅"に戻る

Shane旅日記 日本編に戻る