菅谷館
Sugya Yakata, Japan


登城日:
2007. 05. 14







菅谷館は、杉山城から南東に4km程の
ところにある中世の館城です。

鎌倉幕府の御家人だった
畠山重忠の館が起源だそうです。

畠山重忠は1164年(長寛2年)生まれ。
源頼朝が挙兵した当初は平家側だったそうですが
その後、頼朝に従い、平家や奥州藤原氏討伐で
多くの手柄を立てたそうです。

人望もあり、頼朝には篤い信頼を得ていたようですが
執権・北条時政に謀殺されてしまいました。
1205年(元久2年)の事でした。

畠山重忠の死の240年程後、1488年(長享2年)には
この付近で山内上杉氏と扇谷上杉氏が戦った
という記録も残されているそうです。

地図はこちらです→ Mapion

菅谷館は、本郭の周りに、二ノ郭、三ノ郭
南郭そして西ノ郭が取り囲み、
"館"という名称が付いていますが、
お城そのものです。



この城郭図は上が南になっています。


この杉山城を訪れた後、
菅谷館まで、歩いて向かいました。

杉山城の様子はこちらです。

杉山城から4km程の道のりを約50分かけて歩きました。
良く晴れて、歩くうちに汗ばんできました。
杉山城でも歩き回ったので、菅谷館に着く頃には
足の付け根が痛くなってしまいました。

やっと菅谷館に到着です。



武蔵嵐山の駅の方角からアプローチしたのですが、
ここは菅谷館の搦め手に当たります。

緑生い茂る館跡に入ると、吹き抜ける
風が心地よく汗がすーっとひいていきました。

三ノ郭を通って、まず西ノ郭を目指しました。



館跡は下草が刈られ、よく整備されています。

自然が残っているのか、マムシ注意の
標識が至るところにありました。

三ノ郭の端に、土塁が現れ、
正てん門("てん"は土編に占)と
復元木橋がありました。



土塁は蔀土塁と呼ばれ、西ノ郭から三ノ丸が
見通せないようにしたものだそうです。

木橋の架かる堀は、底に畝がある
障子堀のようでした。



後北条氏のお城に見られる堀の形式です。

復元木橋を超えると、西ノ郭です。
郭の真ん中が芝生のようになっています。
草の香りが漂い、 鶯の鳴き声もしています。



郭の周囲は土塁で囲われていました。

西ノ郭の西ノ端に木々が
生い茂った堀がありました。
この堀の辺りが菅谷館の大手口です。



鎌倉街道が菅谷館の東側を通っていたのに
館の西側に大手口があるのは、
ちょっと不思議な感じがしました。


西ノ郭から三ノ郭に戻り、二ノ郭に向かいます。
二ノ郭との間に土塁があり、僅かに
水の張った堀もありました。



土塁を過ぎると、左手には空間が広がり、
芝生の向こうに「嵐山史跡の博物館」がありました。



あいにく、この日は休館日でした。
既に日も傾き始め、夕方の散歩を
している人を見かけました。

西側、二ノ郭の方向には先ほど眺めた
堀があり、その堀の反対側が小高くなっています。

木々が生い茂り、薄暗い小高い丘の上に
畠山重忠の像が建っていました。



畠山重忠は烏帽子を被った凛々しい姿で
平安末期から鎌倉にかけての激動を
乗り越えた自信がみなぎっているようでした。

畠山重忠の像の辺りから眺めた堀の様子です。



鬱蒼としていて、モリアオガエルが
生息していそうな感じです。


ここから南に進み、本郭に向かいました。
その途中、二ノ郭を囲む立派な土塁と堀が
右手に続いていました。



土橋を渡り、本郭に入りました。
畠山重忠が居を構えていた館は
この本郭に建っていたそうです。



広々とした本郭。
本郭を取り囲んでいる土塁に沿って
ぐるりと一周したいところでしたが
杉山城から歩きづめで、疲れが出ていて
広い本郭を佇んで眺めるだけで、
その南側の、一段低い南郭に向かいました。



南郭は本郭に沿って、東西に細長く伸びた郭で
菅谷館の南を流れる幾都川との間の
防御になっていた郭でしょうか。

南郭から更に下ると、幾都川との間の
湿地帯に作られた「ほたるの里」という
園地がありました。



湿地の上に木橋が架けられています。
初夏の夜、この森を舞うホタルの
姿を見てみたいものです。


疲れてはいましたが、「ほたるの里」の
すぐ先を流れる幾都川まで行ってみました。

お城を抜けると長閑な農村地帯が広がり、
菅谷館のある丘陵地を抜けた道路に
橋が架かっていました。



行き交う車も少なく、欄干に寄りかかって
緩やかな幾都川の流れを眺めていると
何十年も昔に戻ってしまったかのようです。


しばらく橋の上に佇んだ後、再び菅谷館に戻りました。
南郭を経て、二ノ郭に足を踏み入れました。



ここでは丁度下草刈りをしていたところのようで、
刈り取った夏草の匂いがしていました。

これ程濃厚な草の匂いを嗅いだのは、
何十年ぶりかのような気がします。
初夏の夕暮れですが、この夏草の匂いで
郷愁を感じてしまいました。


二ノ郭から嵐山史跡の博物館の近くを通り、
武蔵嵐山駅に戻りました。

菅谷館の出口で振り返った景色です。



この辺りは近くに交通量の激しい道路が通り、
周囲h住宅地なのですが、この光景は
北海道の牧場に居るかのような、
人里離れた、ところの景色のようでした。

あるいは、遠い昔の菅谷館の雰囲気が
そのまま、この一画に残っていたのでしょうか。


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